僕の鉄チャン活動日記


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2001年8/31(金)〜9/2(日)

乗るぞ!「快速リゾートしらかみ」!

男鹿・五能・津軽鉄道

同乗夜行1泊2日大乗りつぶし撮影行旅行記(その1)

at 2001 11/26 02:30 編集

1、旅は計画時から大波乱!!


 夏も終わりに近い2001年8/31(金)〜9/2(日)、僕は駿河台大学鉄道研究会「駿大たびてつ研究同好会」のメンバー3人および鉄チャン仲間の潮くんと共に北東北・秋田・青森方面の男鹿線・五能線・津軽鉄道の乗りつぶし撮影行へ行ってきました。今回の乗りつぶし撮影行は前回の「十和田八幡平・田沢湖・北上大乗りつぶし撮影行」の帰路に着くときに、たまたま弘前駅にやってきた「快速リゾートしらかみ」の撮影をしていて、次回は未乗区間である男鹿線・五能線、そして津軽鉄道の乗りつぶし、そして「快速リゾートしらかみ」の同乗をしようという目的と、計画段階で3日目が現地で行くところが弘南鉄道は前回乗ってしまっているのでないので、せっかくだから現地撮影をしようということで、弘前付近の奥羽本線を通過する日本海縦貫線のEF81牽引の高速貨物列車および「寝台特急あけぼの」「寝台特急日本海」などの撮影をしようということで実施することとしました。

しかし、(@−@)/

計画段階から、今回の大乗りつぶし撮影行は大ハプニングが続出しました。まず、旅行日程です。僕は津軽鉄道を3日目にして、五能線の普通列車で五所川原まで行って乗るつもりでした。ところが、奥羽本線の秋田以北というのは、非常に列車運転本数が少なく、ちょうどいい時間帯に乗れないというのが難点なのです。さらに、学生の身分ですから出来るだけ安く旅費をあげたいわけです。そのためにはどうしても旅行日程の制約で行っても3日が今のところ限界です。奥羽本線の撮影もしたいし、出来れば弘前から五能線で五所川原へ行きたい。しかし、いかんせん、最終の東北新幹線・秋田新幹線にそれをすると間に合わないのです。そのため、やむなく、撮影に使用という目的も兼ねて駅レンタカーを使用し、奥羽本線の列車撮影後、レンタカーにて五所川原駅まで行って津軽鉄道の乗りつぶしをして、再びレンタカーで弘前駅へ戻ってくるということにし、最大限、最終の「東北新幹線やまびこ」に間に合うように、青森回りにして時刻設定をしました。
  ところがです。実はさらなる問題が発生し、僕も含めたメンバーは一時右往左往せねばならない事態となったのです。それは…

きっぷが取れない!!\(@−@;;)/\(×−×)/


実は、いつも乗りつぶし撮影行は知り合いの近畿日本ツーリスト系の旅行会社の方にきっぷの確保をお願いしているのですが、夏休みの最後の週末ということで「快速リゾートしらかみ」の乗車をこちらは追分〜弘前としていたのですが、ナント!困ったことに「快速リゾートしらかみ」の秋田〜十二湖が全車満席!。十二湖からは「快速リゾートしらかみ」に乗れるのですが、そこまで行くために、男鹿線から秋田・追分へ戻ってきて、普通列車か「特急かもしか」を使用して五能線の起点の東能代駅まで行き、そして五能線の普通列車に乗り換えるのですが、困ったことにこれが途中の岩館止まり。ここに「蜃気楼ダイヤ【通りすぎたわけの列車が一部区間戻って、また同じ列車に乗れるようにしたダイヤのこと】」で戻ってきた「快速リゾートしらかみ」がいるのですが、ナント!秋田方面から「快速リゾートしらかみ」の指定席券を持っていて、十二湖駅などで観光してまた乗車する乗客でないと乗ってはいけないというシステムになっているとの由。さらにその区間の普通列車も無いために、鉄チャンとしての僕としてはまことに遺憾で悔しくてならないのですが、それ以外の一般客が乗れる十二湖駅および深浦駅まで、タクシーによる代行輸送で乗車区間を制覇したということにせざるを得なくなってしまいました。(×−×)そうならざるを得なくなってしまったのも原因は旅行会社なのですが、なぜそうなったのかというと、実は旅行会社ではどのきっぷもちゃんと端末が引かれていて確保できるようになってはいますが、いくら確保できるといっても元々はどの切符もその切符を発売している各交通機関がきっぷ確保の優先権を持っているわけで、旅行会社の切符確保順位はその次になってしまうのです。そのため、人気のある列車などの場合は、旅行会社などではまず無理に近いと手配してもらった知り合いの旅行会社の方が言っていました。僕もそれは承知していたのですが、今回このような土壇場の事態に・・・

「あっちゃ〜〜!ダメかぁ〜!」(@−@;;)(×−×)




…と頭を抱え込んでしまいました。(+−+)(×◯×)その知り合いの旅行会社の方も…

「いつも毎回の乗りつぶし撮影行の時に我が旅行社をひいきにしていただいて、今回も切符発売日のだいぶ前から申し込みをいただいているにも関わらず切符を確保できなかったのは大変に不徳の致すところです。お詫び方々、一部区間、タクシー代行移動の費用はこちらから出させてください。大変に申し訳ございません。」(U−U;;)(^−^;;)


…と平謝り。それもあって、幸運か不運か、タクシー代行移動区間のタクシー代は旅行会社が負担してくれることとなったのでした。ところが、そこは顔の広〜い僕、木村カメラマンが四方に手を尽くして、どうにか知り合いの旅行会社に手を尽くさせて、やっと現行通りの切符を確保することが出来ました。とにかく、そんなこんなで行く前から右往左往し、やっと切符等を確保し、当日を迎えたのでした。(^O^)v



2、いざ男鹿線・五能線へ出発進行!!

「寝台特急あけぼの」ドタバタ同乗記

【第1・2日目】



2001年8月31日(金)、さあ、いよいよ待ちに待った乗りつぶし撮影行当日がやってきました。今回使用する切符は、最初は「周遊きっぷ」を使用する予定でしたが、長距離片道1周プランができるということでナント!桐生発桐生行き【経由・両毛線・上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線・東北本線(宇都宮線)・両毛線】という切符にしてそれに支線やはみ出しの分を付け足すことにしました。撮影行の荷物をまとめ、21:00に桐生の自宅を出発!。天気は昼間の暑さがあって、多少夕立が降っていました。車で、桐生駅までの途中にあるコンビニで夜食等を購入し、桐生駅に21:20に到着。撮影機材等を降ろし、改札を抜けて3番線ホームへ。夕立も降っていることもあってか、駅の南口入口にストリートミュージシャンが弾き語りをしているのが聞こえるくらいで、桐生駅は閑散としていました。さあ、いよいよ乗りつぶし撮影行の始まりです。桐生発21:43、484M、JR東日本新前橋電車区107系100番台2連X2の4連がゆっくりとライトを光らせながら桐生駅3番線に入線。乗り込むと、それほど混んではいませんでしたが、帰宅途中のほろ酔い加減のサラリーマンのお父さんや部活帰りの高校生などが乗っていました。車内で潮君と合流。乗りこんで高崎寄り先頭車の運転室後ろのドア脇に荷物を置くとすぐに発車!。渡良瀬川橋梁を渡り、JR東日本高崎運転所桐生支所(下新田車輛区)・下新田(信)を通過。多少、雨も降っていたため、両毛線沿線は幾分暗く感じました。とりあえず、僕は潮君と今回はどんな旅になるのかと期待しながら話をしていきました。高崎駅には22:32着8番。ここで約1時間の待ち合わせです。僕らは高崎駅1番線へ移動。もう、高崎駅も残すところ、高崎線の列車数本と両毛線・上越線の最終列車そして、漆黒の中を走るブルートレインや夜行列車だけ。さすがに閑散としていました。とりあえず、荷物を駅のベンチへ降ろし、高崎駅構内の撮影や飲み物調達、そして大宮から乗った駿河台大学鉄道研究会「駿大たびてつ研究同好会」のメンバー3人との連絡をしながら時間をつぶしました。高崎駅では雨もやんでしまって、信号の赤いライトがきれいに見えました。そして、待つこと1時間たった23:18、頭の2つのヘッドライトを煌々と光らせながら、JR東日本青森運転所(青)の長い庇のついたイカツい顔の、それもあまりの激務で色もくたびれて剥げ落ちたり、くすんでいる赤二号色のEF81 135(青)を先頭に、これまたトレードカラーの青い色が剥がれて錆が浮かんでいたり、剥がれたところに塗りなおしたが、その後も凸凹があって見るも痛々しい激務に耐えているといった風情のブルトレ24系24形9連の「寝台特急あけぼの」がガタガタと音を立てながら入線。現在、24系24形はこの青森運転所所属の「寝台特急あけぼの」と「寝台特急日本海2・3号」で使用しているのみで両数も少ないため、たらい回しで使用しているためか車両の老朽化も著しく、羽越本線などで海沿いを走るので海風にさらされるため、腐食も激しい状態。さらに、ヘッドマークも色が褪せて剥げた状態。あまりにひどい状況でやってきたために、僕と潮君は見た途端、

「あ〜〜あ〜〜〜!!ひでぇなぁ〜〜〜!。」

(+◯+)(×−×)

…と顔をしかめざるを得ませんでした。現在のブルートレインの主流は24系25形で、この24系24形を基にして作られているのですが、この24系24形は量数が少ないだけに資料的な面が大きいのです。この24系24形は14系ブルートレインを基本に作られているので、製造後約30年を経過しています。三段寝台を二段に改造し、車内をいろいろとリニューアルを重ねた末にある現在の車輛ですので、痛みもひどいのは分かるのですが、あまりにもひどすぎる状態になんとかならないものかと面食らってしまいました。(×−×)まして、今回乗る1人用B個室「ソロ」オハネ24 550はJR東日本土崎工場で丸屋根の一部を取っ払い、そこからユニット構造の二階建て「ソロ」のボックスを入れたという大改造を施した車輛で、予備車も合わせて6両しかないため、これまた車輛外壁が剥げ落ちていました。(+◯+)(×−×)まさに現在のブルートレインの過酷な仕事の状況を垣間見る思いがし、数年前の第二次ブルトレブームの頃が懐かしく思われました。(+◯+)(×−×)

それはともかく、荷物を背負い、「寝台特急あけぼの」に乗りこみました。今回乗ったのは、6号車の1人用B個室「ソロ」オハネ24 554(森アオ)。これの2階席4号室に乗りました。車内では、駿河台大学鉄道研究会「駿大たびてつ研究同好会」の副会長で社会人学生の3年生、中村トミ子さんと2年の2代目会長、鈴木淳郎君(初代は僕です。)、そして遠路はるばる静岡県富士宮市の実家から身延線・東海道本線、そして御殿場線・小田急小田原線経由の「特急あさぎり」を使って東京へ出てきた1年生、遠藤伸泰君が部屋から顔を出して出迎えてくれました。21:21、

「コツン!」(^−^)

という連結器の当たる音と共にいよいよ「寝台特急あけぼの」が一路・青森へ向けて出発!とりあえず、部屋に荷物を置き、みんなで車内探検へ出かけました。まず、自分たちの乗っている1人用B個室「ソロ」オハネ24 500を見ることにしました。「寝台特急あけぼの」の一人用B個室「ソロ」オハネ24 500は通路を挟んで両側に部屋がレール方向に上下2段になっていて、2階席は階段で登り、部屋の折り戸を開けて室内にも階段があるので、これを登って部屋に入るという仕組みになっています。2階席はブルートレイン特有の丸屋根なので、かなり広く感じられます。さらに2階にあるので眺めが大変良いですが、丸屋根に窓がついているので窓が天井の45度くらいまでくるので多少圧迫されている感じもあります。ところが1階は2階の階段部分のすぐ下にあるため入口が狭く、屈んで入らなくてはならないのが大変なところ。2階の床部分がせり出しているので大変に圧迫感があり、窮屈です。部屋には1・2階ともに座席使用時のソファークッションと折りたたみ式のテーブル、BGM装置、ライト、空調設備、そして、着ているものをかけるハンガーと寝るときに敷くシーツ・毛布・枕・JRマーク入りの浴衣が備え付けてありました。そして、寝るときは座席の折りたたみ式の補助板を起こし、それに折りたたんであるマットを起こして、それにシーツを引き、毛布をかけて枕を置いて寝るという形です。そして、昼間は全部寝るときにやったことの反対で、全部片付けてマットなどを起こし、ソファークッションに寄りかかって窓の景色を楽しみながらすごすというようになっています。なぜ、このようになったかというと、先程も少し説明しましたが、「ユニット工法」と言って、寝台部分は1・2階を2階建て構造の箱【ユニット】であらかじめ外で作っておいて、それを改造中のオハネ24の屋根の一部を切り取って開けて、そこから寝台ユニットを車体に収めてふたをして、窓部分を新たに作りなおし、内装工事を施したという作り方で作られた車輛です。その説明に中村さん他、駿河台大学鉄道研究会「駿大たびてつ研究同好会」の初心者鉄チャン組3人は

「エ!そんな作り方で作られているんですか!。」(@−@)

とビックリしていました。そして、「寝台特急あけぼの」で一番豪華な7号車の1人用A個室「シングルデラックス」オロネ24 500へ。「寝台特急あけぼの」の「シングルデラックス」は通路が進行方向左側にあり、ジュウタンが敷かれて重厚な木目のある部屋の扉が横に並び、間接照明のランプシェイドがついていて、まるでビジネスホテルのようでした。室内もこれまた豪華で、木目調の壁にヘッドレストのついた座席兼ベッド、BGM装置、テレビ・ビデオ・テーブルになる洗面台(洗面台についているふたがテーブルです。)、空調設備、そして浴衣・シーツなどのリネン類が付いています。さらに、実は「寝台特急あけぼの」の「シングルデラックス」は2人でも利用することが出来ます。実は、補助ベットがヘッドレストの上に折りたたまれていて、使用するときは補助ベットを開けて前に降ろし、付属のはしごを使って登るという仕組みになっています。さらにさらに、家族旅行などで使う場合、「寝台特急あけぼの」の「シングルデラックス」は部屋の入口付近にもう1つドアがあり、部屋を2室続き部屋にして使用することも出来るように設計されています。それを見た鈴木君と遠藤君は

「うわ〜〜!すごいなぁ〜!乗りたいなぁ〜!。今度乗るときはこれにしましょう!」(@−@)/(^O^)/

と目をキラキラと輝かせていました。(^−^)実は、この二人、今回が初めてのブルートレイン・寝台車体験なんです。(^−^;;)そのため、毎度行く前から事前学習をしていくのですが、今回はそのときからもう楽しみで仕方なくて大変なハイテンションとなっていたため、一時、僕も

「大丈夫かいなぁ〜?。あまりにも飛ばしすぎると寝られないぞ!。体が持たないぞ!」(^−^;;)

と心配して苦笑してしまうほど。(^−^;;)とにかく、鈴木君と遠藤君は「シングルデラックス」をくまなく観察していました。(^−^;;)そして、今回は3両減車の9両編成で運転されているため、実質上2両目になる8号車・オハネフ24へ。こちらは原型のままの幅広の2段式B寝台で、通路が左側にあり、右側に2段のベッドが枕木方向に並んでいて、右側の窓にあるテーブルについているはしごを使って昇り降りし、通路の上が荷物置き場になっています。下段には、通路側にもテープルが付いていて、肘置きのところをひっくり返すとテーブルになるという仕組みになっています。リネン類のほか、読書灯がついています。寝るときは備え付けのリネン類を敷いた後、カーテンを閉めて寝るという形になっています。もう、時間が23:00を過ぎているために減灯されていて、薄暗くなっている中を見てきました。ブルートレイン初めての二人は

「あ!これが普通の寝台車ってヤツですかぁ〜。」(O−O)(@−@)

と感心しっぱなしでした。そして、車端部の電源車カニ24の荷物室の入口まで行って、自室に戻ってきました。ちょうど、JR東日本青森車掌区の車掌さんが検札に訪れ、今日のノリホ【乗車状況】を聞いてみました。そうすると、9両編成の定員に対して乗車率は約60%ほどとの事。特に、2両の「ソロ」は大半が埋まっているそうで、「シングルデラックス」は全室満杯、1号車の女性専用席「レディースカー」もほぼ満席だと言っていました。検札を済ませ、部屋を寝やすいように整備し、浴衣に着替えて備え付けのテーブルであらかじめ買っておいた夜食のおにぎりなどを食べながら外の景色を見てみました。まだ、地元群馬県内なので、外を見ればどの辺を走っているのかがすぐに分かります。見たところ、ちょうど渋川を出て、第1利根川橋梁(大正橋)を渡って、敷島駅へ向かっているところでした。漆黒の闇の中を家々の電気がうっすらと白く光っています。そんな景色の中を「寝台特急あけぼの」はさらに北へと進みます。利根川を2度渡り、真っ暗の沼田を通過。気が付くと、ちょうど時刻は0:00を過ぎたところでした。

「カタカタカタ…!ガクンガクン!」(^−^)と高速で走る客車の走行音が響き渡ります。僕は持ってきたノートパソコンで自分のホームページを開いて、今回のこの乗りつぶし撮影行の様子を楽しみにしてくれている閲覧者のみなさんに返事を書いたりしていました。そのうちに急に列車が

「ガックン!!ゴトンゴトン!!」(x−x)

と速度を落とし始めました。外を見ると諏訪峡。まもなく、水上です。水上では運転手交代と支社境界のため、運転停車します。水上着0:16。1番線に到着。僕の泊まっている部屋は通路を挟んで左側の部屋なので、水上駅の駅本屋と駅前のみやげ物街、そして、これまたビックリしたのですが、普段は停車しないO番線に夜間のみ、水上止まりの107系が入って寝てました。そして、0:20、水上を出発。さあ、いよいよ上越国境越えです。ゴトゴトと水上駅構内の線路を渡っていきます。そして、車窓にはJR貨物水上機関区の複線庫と毎度お馴染み「快速SL奥利根号」のD51 498を方転するためのターンテーブルが暗闇の中に見えました。もちろん、駅前通も深夜ですからひっそりと静まり返っていました。その中をゆっくりと「寝台特急あけぼの」は走り出します。第6・7・8と3つの利根川橋梁を渡り、列車は大穴の大カーブを過ぎました。さあ、まもなく「寝台特急あけぼの」の第1の見所、上越国境越えの新清水トンネル突入です!。僕は部屋の電気を消し、突入の瞬間をじっと見ていました。大穴を過ぎたため、山が迫ってきます。そして遠くで、EF81 135が

「ピ〜〜〜!!」(^O^)

と汽笛を鳴らした瞬間、

「シュ〜〜ン!!ゴ〜〜〜〜!!」

という音と共に新清水トンネルのトンネルポータルが見えて突入しました。0:25、新清水トンネル突入!!。それと同時に、新清水トンネル内にある下り線の湯檜曽駅を通過。

「ゴ〜〜〜!ガタンガタン!!」

という新清水トンネル内のレールの軋む音と共に、コンクリートのトンネル壁面が2階の窓いっぱいに迫ってきます。部屋の蛍光灯に照らされて、トンネルの中の蛍光灯と共にトンネル内がとても明るくなっています。そのうちに急に列車が

「ガクンガクン!!ガタンガタン!」

と大きく揺れました。どうやらこれまた鉄チャンにはお馴染み、日本一のモグラ駅である上越線下り新清水トンネル内にある土合駅のポイントを渡ったようです。この土合駅はもともと本線だったループトンネルの上り線の直下に作られているため、駅本屋と下り線ホームとの間はスロープで結ばれ、湯檜曽川を渡ると、すぐに地下へのトンネルが口を開けています。それも地下までは約10分かかります。そこを684段の階段を降りて行かなくてはならないという駅なのです。新清水トンネル内は1面2線になっていて、奥が通過線、手前が待避線になっていて、土合駅に停まる列車はこの待避線のほうにホームがあるので、こちらへトンネル内のポイントをゴトゴトと渡って入ってくるというわけなんです。その土合駅を通過し、新清水トンネルの闇の中をさらに突き進みます。しばらくすると、

「ゴ〜!」

という走行音が

「カ〜!」

という音に変わり、列車が前のほうに傾き始めました。群馬・新潟の県境を越えて、毛倉岳直下の毛倉(信)を通過して下り勾配に入ったようです。そんなこんなで、水上方入口から突入して10分経った0:35、「寝台特急あけぼの」はゴトゴトと清水トンネルを抜けて、土樽駅構内へと入っていきました。トンネルを抜けた途端、沢を渡る橋梁を渡り、関越トンネルを抜けてきた関越自動車道のライトがすごく明るくこちら上越線を照らしてくれていました。さあ、これから山を降ります。真ん中に通過線のある対抗式2面4線の土樽駅構内の通過線をゆっくりと通過し、「寝台特急あけぼの」は新潟県側の新松川トンネルへ突入しました。実は、このトンネルは上り線が「松川トンネル」というループ線になっていて、その外側を大回りして山を下っていくという形になっているのです。そのため、トンネルの一部区間では、上り下りが同一方向に走っているという区間が存在しているのです。運が良ければ、新松川トンネルのスノーシェッドから上り線の松川トンネルのスノーシェットを走る列車が確認できます。そして、新松川トンネルを大きく右カーブしながら抜けると、おいしい新潟米「こしひかり」を作る水を生み出す川として有名な魚野川を渡り、スキー場がすぐ裏にある駅で有名な越後中里を通過。どんどん防雪林の中を山を下り、急に視界が広くなりました。鉄チャンには大変に有名なお立ち台(有名撮影地)、通称「岩原Ω(オーム)カーブ」にさしかかりました。ここはまさに電力記号の「Ω」の形のように、勾配緩和のために線路が大きく270度にわたって大カーブを描いているところで、近づいてくる列車が行ってしまうまでの間、大迫力のパノラマ撮影をすることが出来るというわけなんです。この「岩原Ω(オーム)カーブ」を過ぎると、岩原スキー場前駅。ここを過ぎると、まもなく越後湯沢です。いくつもの沢を渡り、三国トンネルから苗場を通ってきた国道17号の下をくぐり、「寝台特急あけぼの」は0:50、越後湯沢駅構内に運転停車しました。ここは通過するための定点になっているので、時間調整も兼ねています。ここで5分停車した後に、再び発車しました。ゴトゴトと越後湯沢の構内を抜け、山を降りていくためにどんどん加速していきます。そんな車内から毎度、僕は乗りつぶし撮影行などで自分のホームページに来てくれて僕のたびの状況を楽しみにしてくれている人達のために「実況中継」を掲載しているのですが、それを六日町を過ぎた辺りで書き上げて掲載しました。その内容は次の通り。

● 僕のホームページへ来てくださっている常連の皆さん、日記などを見て初めて来られた皆さん、こんばんは!。(^O^)/いよいよ、「乗るぞ!『快速リゾートしらかみ』男鹿・五能・津軽鉄道同乗夜行1泊2日大乗りつぶし撮影行」がスタートしました。現在、2021レ、「寝台特急あけぼの」の6号車の一人用B個室「ソロ」の車内にいます。先程、0:35、新清水トンネルを抜けて新潟県へ入ったところです。今、上越線を長岡に向けて六日町付近を走行中です。本日の「寝台特急あけぼの」の牽引機はEF81 135(青)。僕の乗るB個室ソロはオハネ25 554(森アオ)です。高崎を23:21に発車し、水上で運転停車のため、0:16着:20発で出発。0:25に新清水トンネルに突入し、新潟県へ入りました。これから、長岡・新津と運転停車をしていきます。長岡には深夜の2:00頃、新津には2:30頃に停まり、運転手交代を行います。そのときに、長岡では上りの「寝台特急北陸」、新津では「寝台特急日本海2号」と駅停車中にすれ違います。両者ともに30分以上停車します。それでは、僕もそろそろ寝ます。明朝は秋田に6:56に到着し、7:06の男鹿線で男鹿へ行って、ちょっと周辺見物をして、9:04発の男鹿線の列車で追分へ。そして、追分から「快速リゾートしらかみ」に乗りこみます。周辺の皆さんで、僕と会いたい皆さん、乱入はOKですョ!!。それではおやすみなさい!!。(^−^)

このようなことを書いてから、僕はトイレに行って寝る支度を整えて、マットレスを起こしてシーツを敷き、毛布に包まり寝ることとしました。ゴトゴトと走行音だけが響き渡ります。ところがやはり鉄チャンの性分というかなんというかで、僕も興奮冷め遣らぬという面とちょうど僕の部屋は台車の部分のちょうど真上に当たるため、2階でも「ガッチャンガッチャン!ゴトゴト!」という音が響き、気になってなかなか寝つけません。しばらく寝返りをうっているうちに、「ガクン」という音と共に列車がスピードダウン。気になって起きてみると、JR東日本長岡運転所とJR貨物長岡貨物ターミナルが車窓を横切りました。上越線用の「山男」ことEF64 1000が大量にいました。そうして、列車は長岡に入りました。長岡着1:37�◆�ここでは2度目の運転手の交代を行います。隣の3番線にはちょうど金沢からの上野行き「寝台特急北陸」が機関車の付け替えをやっていました。この日の信越・北陸本線を担当したのはJR東日本長岡運転所のEF81 146(長岡)。これもEF81型電気機関車の製造最終グループの5次車に当たる車輛で、耐寒大雪装備を施し、大きなツララ切りがついています。実は、乗った「寝台特急あけぼの」の牽引機であるEF81 135(青森)もこの製造最終グループの5次車にあたります。さらに、このEF81 135は元はJR東日本長岡運転所所属のカマ(機関車)で、JR東日本田端運転所所属のEF81は貨物専用指定車以外は、通称「北斗星色」「星ガマ」【正式名称「赤2号流星色」】に塗られていますが、このJR東日本長岡運転所とJR東日本青森運転所のEF81は濃い赤の「赤2号色」で塗装されているのが特徴です。【なお、JR東日本田端運転所のEF81型のうち、89・92号機は「カシオペアカラー」、95号機は元「スーパーエキスプレスレインボー」の専用機、残りの初期製造車が貨物専用と波動用に赤2号色となっています。】そのうちのEF81型の第5次製造車は日本海縦貫線の増強用として昭和50年代に旧国鉄長岡鉄道管理局東新潟機関区(現JR貨物東新潟機関区)および旧国鉄秋田鉄道管理局酒田機関区(現JR東日本酒田運輸区)に22両(130号機〜152号機)配置され、現在のEF81第5次車は133号機がJR東日本田端運転所で「寝台特急北斗星」用の星ガマ塗色に、134〜139号機がJR東日本青森運転所で「寝台特急あけぼの」「寝台特急はくつる」牽引用に、そして残りの140〜152号機はJR東日本長岡運転所に所属し、定期列車は「寝台特急北陸」の長岡〜金沢および貨物用のJR貨物富山機関区のEF81型の不足を補う形で運転されています。【130号機と131号機は関門トンネル用EF81 400番台、EF81 403とEF81 404に改造。】その青森運転所のEF81ですが、平成10年(1998年)3月14日のダイヤ改正で長岡運転所のEF81型の第5次製造車のうち東京乗り入れのためのATS−Pを搭載し、長岡運転所所属時に「寝台特急鳥海」の「上越線通過対策仕様」に改造された134〜139号機の6両が転属してきました。その長岡運転所のEF81型5次車の動きは平成5年(1993年)12月ダイヤ改正で、それまで運転していた「寝台特急鳥海」の長岡でのEF64 1000との機関車付け替えしてバトンタッチして青森まで行くという担当を廃止し、上野〜青森を直通運転が開始されました。これは途中駅での機関車付け替えの機回しの手間を省き、EF81型交直流電気機関車の機能をフルに有効に使うために行われたのですが、その時、問題が発生しました。それは「寝台特急鳥海」の運転区間である上野〜青森のうち、これまで長岡運転所のEF64 1000番台の受け持っていた上野〜長岡の上越線区間をどのように通過するのかというものでした。上越線は群馬県高崎市の高崎線・高崎駅を起点に新潟県長岡市の信越本線・宮内駅までの162.6Kmの路線です。高崎から途中の渋川までは関東平野の平坦なところを走っていきますが、渋川を出るといよいよ谷川岳へ向かって勾配を登り始めます。渋川まではきつくてもせいぜい10‰(パーミル)程度の勾配でしたが、渋川を過ぎると沼田まで断続的に15〜20‰、沼田から隣の後閑までは利根川と片品川の作った河岸段丘の最下段の段丘面などを走るため、10〜15‰ですが、後閑〜水上は利根川も上流部に差し掛かるということで山が迫り、これまた断続的に15〜25‰、そして、いよいよ上越国境を越える水上から新清水トンネル・清水トンネル内にある谷川連峰・茂倉岳(1977.9m)直下にある旧茂倉(信)までは一気に25〜35‰という急勾配に達し、旧茂倉(信)付近で上越線のサミット(最高地点)に到達。そこを過ぎると、今度は越後平野に入るために一気に下り坂になります。最大25〜35‰くらいで旧茂倉(信)から一気に六日町まで駆け下ります。そんな難所なので、上越線の水上〜越後湯沢の間は、鉄チャンには大変にお馴染みで、群馬県の郷土名物である「上毛カルタ」の中にも「ループで名高い清水トンネル」で詠われ、川端康成の小説「雪國」で「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」で有名な谷川連峰直下を越える約10Kmほどの長大な新清水トンネル・清水トンネルを始めとして、上越線が単線だった頃の名残を未だに留める上越線の上り線にあるループトンネルの湯檜曽トンネル・松川トンネルや勾配を出来るだけ緩和するために、まるで電気記号の「Ω」のような線形が作られている上越線・越後中里〜岩原スキー場前の通称「岩原Ωカーブ」など、上越線の一番過酷な難所を越えるために作られた鉄道施設が連続しているのです。昭和30年代は、ここを旧型電気のEF15・EF16が重連を組んで登り下りしたり補機をしていましたが、この旧型電気にしても冬場の豪雪の中での過酷な仕業に故障や雪による空転などで立ち往生することが多々あったようです。その旧型電気を置きかえるために1980年(昭和55年)、上越線用の強力電気機関車、EF64 1000番台が誕生しました。このEF64 1000は上越線の最難関、水上〜越後湯沢の上越国境を越えるために、日本で最も急勾配だった信越本線・横川〜軽井沢【現在・廃止】の碓氷峠用専用機関車EF63に使用されている転動防止のための「ロックシリンダー」や山線用にギヤ比を3.63にしたり、雪害対策や重量級の列車に対応するための重連総括制御装置を搭載し、まさに上越線専用の機関車としてデビューしたのでした。そのEF64 1000の技術が、EF81にも応用されているのですが、このEF81はあくまで本線用のカマ(機関車)ですので、山登りに適していません。さらに耐寒大雪装備に問題があり、後に作られた上越線通過対策も簡略で取り入れられた本線用電気機関車ではお馴染みのEF65 1000(PF)も上越線にはあまり適しているとは言えません。簡単に言えば、EF65 1000が上越線の上越国境を越える場合、やっと走っているということになるわけです。そのEF65 1000とEF64 1000の技術を受け継いだEF81ですので、交直流電気機関車ですから架線さえあればどこでも走れますが、やはり上越線の上越国境越えは大変過酷です。そこで、その上越国境を越えるための耐寒大雪装備他の「上越線使用改造」を「寝台特急鳥海」の全線スルー運転に際して実施しました。主な内容は、耐寒大雪装備で、ツララきりの拡大や雪の跳ね上げ防止のための前面大型踏み板の設置、そして、大型のスノープラウの撮り付け、そして首都圏を走るための保安装置であるATS−Pの取り付けを行いました。そして、1993年(平成5年)12月ダイヤ改正から「寝台特急鳥海」の上野〜青森スルー運転を開始しました。これによって、冬の上越線もEF81単体で通過することが出来るようになったため、長岡所のEF81「上越線通過対策車」の使用需要が高まり、1994年(平成6年)6月に実施された長岡貨物ターミナル(南長岡貨物駅)構内線路配線変更工事の際、普段ならばEF81の担当は長岡〜金沢でEF64 1000よりバトンタッチされて進行方向の変わる「寝台特急北陸」がカマ(機関車)のための長岡運転所入出区用線路の使用が制限されたために、この工事期間のみ長岡所のEF81「上越線通過対策車」が上野〜金沢をしかも長岡での機回し1回を含めて直通で運転されるという珍事が発生し、これによって、「寝台特急北陸」も機回しは必要であるが、やれば上野〜金沢の完全EF81化も可能であることが証明されたことになるわけです。
 さて、一方、「寝台特急はくつる」は1994年(平成6年)12月ダイヤ改正で583系寝台特急電車から元博多行き「寝台特急あさかぜ1・4号」の編成を使用しての客車化がされ、ブルトレ「寝台特急はくつる」復帰【「寝台特急はくつる」は昭和40年代に登場したときは20系ブルトレでした。】当初は「寝台特急北斗星」用、JR東日本田端運転所のEF81「星ガマ」を使用して運転されていました。JR東日本田端運転所のEF81の「寝台特急北斗星」以外のブルートレイン使用では1993年(平成5年)12月ダイヤ改正より、山形新幹線建設に伴う迂回運転が行われていた「寝台特急あけぼの」の上野〜小牛田をスルー運転より開始。当時、「寝台特急あけぼの」は奥羽本線経由だったため、その時の牽引機は上野〜黒磯の東北本線(宇都宮線)の直流区間はJR東日本田端運転所のEF65 1000(田)《PF型》、東北本線(宇都宮線)交流区間である黒磯〜福島はJR東日本青森運転所仙台電車区常駐のED75 1000およびEF75 700(青)の単機および重連、奥羽本線の板谷峠越えである福島〜山形は当時、交流電気機関車で山岳用として最強だったJR東日本山形電車区のEF71+ED78(山形)の重連、そして残りの奥羽本線の山形〜青森はJR東日本南秋田運転所のED75 700(秋)で運転していました。しかし、山形新幹線の建設により奥羽本線の福島〜山形は新たに奥羽本線(山形線)となるために線路の幅を在来線の1067mm(狭軌)から新幹線と同じ1435mm(標準機)に改軌したので、奥羽本線の福島〜山形は通れなくなりました。そこで、迂回ルートが設定され、上野〜小牛田を東北本線(宇都宮線)、小牛田〜新庄を陸羽東線(奥の細道湯けむりライン)、新庄〜青森を奥羽本線という路線変更がされ、実施された1990年(平成2年)9月1日ダイヤ改正では東北本線(宇都宮線)の上野〜黒磯の直流区間はJR東日本田端運転所のEF65 1000(田)、東北本線(宇都宮線)の交流区間の黒磯〜小牛田はJR東日本青森運転所仙台電車区常駐のED75 1000およびEF75 700(青)の単機および重連、そして小牛田〜新庄の陸羽東線(奥の細道湯けむりライン)はナント!JR東日本新庄運輸区のDE10(新庄)が重連で深夜帯の同線を激走!。そして、残りの新庄〜青森の奥羽本線をJR東日本青森運転所のED75 700(青森)が牽引しました。そのうちの東北本線(宇都宮線)の上野〜小牛田を1993年(平成5年)12月ダイヤ改正よりJR東日本田端運転所のEF81が引き受けてスルー運転することになりました。ただし、その東北本線(宇都宮線)のEF81直通運転化をするに当たり、やっかいな問題があったのです。それは栃木県黒磯市にある東北本線(宇都宮線)・黒磯駅。実は、この駅より東北本線(宇都宮線)の架線の電気が直流1500Vから交流20000V/50Hzに切り替わるのですが、この駅は全国で唯一の地上式交直デッドセクションの駅でもあるのです。この黒磯駅は駅構内の架線がスイッチの切り替えにより直流・交流がどちらでも流れるようになっているのです。ここを通過する交直流の電車や電気機関車の場合は、上野方から構内に進入する場合、ホームに一旦停車します。ここまでは直流です。そして停車次第、パンタグラフを一旦下ろします。その間に黒磯駅の係員が電気方式を直流から交流に切り替えます。さらに、その間に列車の方でも運転手さんが車輛の交直切り替えスイッチを直流から交流に切り替えます。そして、架線と車輛の電気が交流になり次第、パンタグラフを昇げて交流電化の東北本線(宇都宮線)へ向けて出発という方式なのです。そのために黒磯駅を通過する列車はどんな列車もここで停車し、ここでカマ(機関車)を直流用から交流用に付け替えるか、一旦停車してパンタグラフを下ろして、交直切り替えをするかのどちらかでないと通過することが出来ないというところなんです。そのために列車は黒磯駅に停車する分、余計に時間がかかってしまいます。そこで、この黒磯駅の交直デッドセクション(地上式)を無停車通過するために、「寝台特急北斗星」に使用するJR東日本田端運転所のEF81には「寝台特急北斗星」が黒磯駅に侵入する際に、車上子より電気信号で黒磯駅の電気切り替えシステムに信号を発信し、黒磯駅では東北本線(宇都宮線)の本線に当たる1・5番線の交直両通電区間を無電にして、その区間にさしかかると機関車は惰性で走り、その間にEF81の前パンタグラフを降ろして交直切り替えをする「交直デッドセクション(車上式)」が出来るようにする信号装置である「列車選別装置」の取り付け改造を施行してあるのです。
  さて、しばらくは「寝台特急あけぼの」「寝台特急はくつる」はJR東日本田端運転所のEF81で運転されていましたが、1997年(平成9年)3月ダイヤ改正で、「秋田新幹線こまち」開業によって「寝台特急あけぼの」が山形新幹線・秋田新幹線のために元々地盤であった奥羽本線経由で走ることが出来なくなったため、路線を東北本線(宇都宮線)・陸羽東線(奥の細道湯けむりライン)・奥羽本線経由から上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由に変更し、「寝台特急鳥海」を吸収廃止して、その際に、スルー運転していたEF81の所属区をJR東日本田端運転所からJR東日本長岡運転所のEF81に変更。しばらくは長岡運転所のEF81の「上越線通過対策車」で運転されていましたが、その場合に牽引するカマ(機関車)の車庫が通過路線の途中ではその都度カマ(機関車)を単機回送せねばならず不便であることと、583系寝台電車から移管された「寝台特急はくつる」の牽引に、「寝台特急はくつる」の車輛が青森運転所の車輛だったため、所属の違うJR東日本田端運転所のEF81はその都度回送せねばならず大変だったため、1998年(平成10年)3月14日ダイヤ改正でJR東日本長岡運転所のEF81型のうち、第5次製造車で「上越線通過対策車」である134〜139号機をJR東日本青森運転所に転属。「寝台特急あけぼの」「寝台特急はくつる」専用機としたのです。しかし、青森運転所のEF81「上越線通過対策車」である134〜139号機を「寝台特急はくつる」で使用する際、やはり黒磯駅の問題が発生してしまいます.しかし、「寝台特急はくつる」は黒磯駅で運転停車するために従来通りの通過方法で済むと思われました。しかし、いずれは青森運転所のEF81「上越線通過対策車」である134〜139号機も黒磯駅を走行通過しなくてはならなくなるかもしれないということで、転属してすぐに1998年度中にJR東日本田端運転所のEF81と同様、青森運転所所属EF81「上越線通過対策車」である134〜139号機全機に「列車選別装置」を取り付けました。
 …ということで、だいぶ話がそれましたが、深夜の長岡駅での僕の乗る「寝台特急あけぼの」と上野へ向かう「寝台特急北陸」の両EF81の対面が滞り無く終了し、1:44、再び闇の中へと出発!。深夜の信越本線へと「寝台特急あけぼの」は歩みを進めます。僕は長岡を発車するところでトイレへ行くために起きて、そのときに「寝台特急北陸」のEF81 146(長岡)がちょうど切り離されたところを確認しました。そして、再び部屋に戻り、毛布をかぶって就寝。「ガタンゴトン!」というレールの継ぎ目を通過する音だけが響き渡ります。「寝台特急あけぼの」は新潟地区の信越本線の複線区間を突っ走ります。かなり飛ばしているようで、目測ではだいたい80km/hそこそこ出ているくらい。しかし、それでもすぐには寝られないので、窓のブラインドを開けて、横になりながら車窓を見てみました。漆黒の闇の中を家々のわずかな明かりや「寝台特急あけぼの」の車内灯で照らされて見える雑木林など、沿線の風景がわずかながら見えました。そのうちに眠くなったので、再び毛布に包まって寝入ったところ、列車がブレーキをかけ、それと同時に

「ガタンガタン!ガクン!!ガッグンガクン!!」(+−+)(◯−◯)

という音と衝撃と共にゆっくりとスピードが落ち始めました。こうなると、もう気になって寝られません。すぐに窓から外を見てみると、いろいろな線路が張り出されたヤードと共に、大きな研修庫が見えてきました。新津です。新津には新潟地区の非電化区間用および羽越本線用のDC(ディーゼルカー)の基地であるJR東日本新津運輸区があり、2年前に復活したSL、C57 135「快速SLばんえつ物語」もここで修繕を行っています。先程見えたのは、そのJR東日本新津運輸区の車輛研修庫でした。2:20、「寝台特急あけぼの」は丑三つ時の新津駅の2番線に入りました。こちらも客扱いはせず、運転停車です。ここで長岡で替わったJR東日本長岡運転所の運転手さんからJR東日本新津運輸区の運転手さんにバトンタッチされます。「寝台特急あけぼの」は上野〜青森の間に全部で7回、運転手が交代します。それは各JR東日本の支社の違いやその路線を受け持っている各地の運転所などの管轄があるためです。JR東日本長岡運転所の「寝台特急あけぼの」の運転管轄は新潟地区の中越地区を通過する部分の担当となっています。そして、さあ、いよいよこれより「寝台特急あけぼの」は信越本線と分かれ、羽越本線へと入っていきます。前回の「十和田八幡平・田沢湖・北上乗りつぶし撮影行」の時にはB個室「ソロ」の僕の使用した部屋が車両右側の山側だったために見えたのですが、、おそらく外の1番線には同じく運転停車で停車中の大阪行き「寝台特急日本海2号」がいたことでしょう。今回の僕の使用したB個室「ソロ」の方は車輛左側の進行方向最前列の上段に当たる4号室なので、ちょうど新津駅�↓H崟�ホームの上屋と「快速SLばんえつ物語」用12系客車が見えました。特に、「快速SLばんえつ物語」は展望席のオハ12 1701(新カヌ)が車体高があるため、深夜でもとても目立って見えていました。そして、2:30、運転停車を終えた「寝台特急あけぼの」は再び発車!。漆黒の羽越本線へと進んでいきます。ゴトゴトと複雑な配線になっている新津駅構内のポイントを渡り、羽越本線の方向へ入っていきます。そして、JR東日本新津運輸区のオレンジ色のヤードランプに照らされて明るい中を羽越本線へ入りました。それと同時に車窓に右奥へと分かれていく信越本線が大きく右にカーブを描いて分岐していきました。羽越本線は単線と複線が交互に複雑に混ざっている路線です。日本海側の急峻な地形を縫うように走っています。まず、羽越本線は新津を出発して単線の線路を行きます。出発してしばらく暗闇の中の水田地帯を行くと、すぐ新潟方向から磐越自動車道の土手とその案内灯が近づいてきて羽越本線をオーバークロスしました。それを過ぎてすぐ、「寝台特急あけぼの」は緩やかな勾配を登り始めました。阿賀野川です。漆黒の闇の中を全長1229mのトラス橋の長い阿賀野川橋梁を渡ります。この辺りは阿賀野川も下流域にあたるため、川の流れも緩やかになり川幅も広くなっているために、このような長大な鉄橋が建設されました。また、実はこの阿賀野川橋梁は現在、動態保存されている「快速SLやまぐち」用C57 1が旧国鉄新潟鉄道管理局新津機関区(現JR東日本新津運輸区)所属時代、この阿賀野川橋梁で脱線転覆事故という大事故を起こしたという汚点の逸話を持つ橋としても知られています。ここは前回の「十和田八幡平・田沢湖・北上乗りつぶし撮影行」の時も通りましたが、阿賀野川の築堤の間が1km以上もあるためにとてつもなく長い鉄橋です。その真ん中へ来るとようやく阿賀野川の淀んだ水が列車の光に照らされて鈍く光りました。そして、阿賀野川を渡り終えると築堤のアプローチを下り、単線無人駅でホームが1本あるのみの京ヶ瀬駅を通過しました。もうあとはどんどん北へ向かって「寝台特急あけぼの」は突き進むのみです。時間はすでに深夜どころか早朝の3:00を回ってしまいました。いい加減に寝ないと2日目の行程に支障をきたします。(+ー+)(×◯×)そんなわけで、もう寝ないと本当に大変なので僕はまた毛布をかぶり熟睡しました。ホントにおやすみなさい。(−O−)zzzzzz・・・・
 ところが、やっと熟睡し始めて夢心地に入るかはいらないかのところのウトウトしていたその時、

「ガクン!!」(+−+)(◯−◯)(×◯×)

という強い衝撃と共に列車がスピードダウン!。そのときの衝撃で僕は寝てる寝床のシーツごとずり下げられるくらいの衝撃を感じ、何事かと寝ぼけ眼をこすりながらビックリして飛び起きてしまいました。窓の外には大量の新潟地区用115系電車が留置されていました。時間は3:22。村上です。ここが「寝台特急あけぼの」の翌朝最初の停車駅です。さらになぜ、大量の115系電車がいるかというと、実はこの村上駅を出てすぐの1.166Kmくらいのところに交直デッドセクション(車上式)があるのです。関東地区からの直流1500Vはこの村上駅を持って終了し、村上駅から先の交直デッドセクション(車上式)より交流20000V/50Hzとなります。この区間の場合、「寝台特急あけぼの」のEF81は交直デッドセクション(車上式)の無電区間を惰性で通過中に交直切り替えスイッチを直流から交流に切り替え、カマ(機関車)の進行方向前方のパンタグラフを下げて進みます。また、ここを走る485系「L特急いなほ」は交直デッドセクション(車上式)を通過中、無電区間なので車内灯が全部消えて、車内に非常灯が点灯し、そこを過ぎて交流区間に入ると再び車内灯がつきます。ただ、この羽越本線の方では交直デッドセクション(車上式)を越える普通列車も設定されていますが、普通列車用の交直流電車はこの地域では持っていないので、そのために村上以北へ行く普通列車では電化区間にもかかわらずJR東日本新津運輸区のディーゼルカーを走らせているのです。その村上の交直デッドセクション(車上式)を過ぎると、ここから先は、羽越本線では最も景色の良いところで知られる鉄チャンにもお立ち台(有名撮影地)として名高い名勝「笹川流」へと入ってきます。日本海が間近に迫り、岸に打ち寄せる白波と漆黒の闇の中、遠くに見える漁船の漁り火や灯台の光が良く見えます。笹川流の起伏に富んだ地形を進むために羽越本線は単線になったり複線になったりの複雑な線形が入り混じっています。上下別線になる部分もあり、さらにその複雑な海岸線を行くためにいくつもトンネルが続いたりするなど、とても鉄道趣味的には面白い景色のところを走っていきます。もう、まもなく新潟県を越え、山形県へと入ります。ところが、その県境に近づいた頃、

「シャ〜!パチバチ!」(+−+)(◯−◯)(×◯×)

という音と共にナント!!雨が降り出してきてしまったのです。それもかなりの集中豪雨です。今回の乗りつぶし撮影行の波乱含みを表すような、この雨に

「オイオイ!!夜が明けるまでに良い天気になってくれよ。」(+−+)

と祈るしかありませんでした。そうこうしているうちに「寝台特急あけぼの」は4:10、山形県内の最初の停車駅である山形県温海町の羽越本線・あつみ温泉駅に到着。すぐに発車。そのときは僕は列車の停車する衝撃で目を開けたり瞑ったり…。だんだんと夜が明け始め、再び強い衝撃で目が覚め、起きてみると鶴岡駅。なぜ、このような強い衝撃が来るのかというと、電車の場合はモーター車が分散してあるので、死重があるため、それほど揺れはきませんが、客車の場合は全てトレーラーなため、先頭のカマ(機関車)によって動いていることもあり、機関車のゴツゴツした運転方法がそのまま客車にも伝わってしまうのです。もちろん、客車にも連結器に緩衝機(ショックアブズオーバー)が付いていますが、それでも列車全体が引っ張られるために、その連結機に掛かる衝撃はものすごいのです。ですから、乗客に不安のない運転をしなくてはならないために、カマ(機関車)の運転手は神経を使わなくてはならないのです。しかし、中には無神経というか運転の下手な運転手がいて、例えば発車するときは車輛をちょっと前に進めて衝撃を無くした上で走り出さなくてはならないところを連結器の緩んだ隙間があるにもかかわらず、そのまま出発してしまい

「ガチャン!!」(+−+)(×−×)

という強い衝撃によって乗客がずっこけてケガをしてしまうなどということもあるのです。今回の「寝台特急あけぼの」の運転手さんはほとんどが電車ばかりを運転している運転手さんなので、8回の運転手交代中、今回乗った秋田までは上野からでは通算6回運転手交代があるのですが、そのうちの半分の2回(長岡・新津)がいわゆる「下手な運転手さん」(U−U;)
でした。ブルートレイン(寝台特急)なのですから、もう少し寝ている乗客のことも考慮して運転してほしいものです。(+−+)(◯−◯)(×−×)
 まあ、そんなわけで、その列車の衝撃などもあってか、熟睡できたのはたったの2〜3時間程度で、結局あまり寝られないまま、夜が開けてしまい(+ー+)(×◯×)、5:45、かけておいた目覚し時計がなったために起床。(+−+)
列車はちようど秋田県に入って最初の秋田県由利郡象潟町の羽越本線・象潟駅に着いたところでした。1分停車の後、すぐに発車。9/1(土)です。天気はすがすがしいほどの快晴でした。防風林のクロマツ林の奥に青い日本海が見え隠れしながら車窓を楽しませてくれています。そして、午前6:00、鉄チャンにはお馴染みのオルゴール放送チャイムと共にブルートレイン名物「朝のおはよう放送」が始まりました。

「みなさま、おはようございます。9月1日土曜日、午前6:00になりました。今朝のお目覚めはいかかでしょうか。列車は定刻通りに運転しております。それではこれからの停車駅を申し上げます。あと9分ほどで羽後本荘に到着いたします。羽後本荘6:09、秋田6:52、八郎潟7:24………終着青森には10:09に到着いたします。なお、秋田より、NRE【日本レストランエンタープライゼス(旧日本食堂)】の車内販売サービスが乗車してまいります。また、秋田より立席特急券使用のお客様が乗車なさいます。4号車のお客様には大変ご面倒さまですが、まもなく寝台設備のリネン類を回収させていただきます。皆様のご協力をお願いいたします。本日も『寝台特急あけぼの』号をご利用いただきましてまことにありがとうございます。間もなく、羽後本荘、羽後本荘です。ありがとうございました。」(^O^)

…というJR東日本青森車掌区の車掌さんによるアナウンスで「寝台特急あけぼの」の朝が始まるというわけです。しかし、この「おはよう放送」、僕の乗ったB個室「ソロ」の場合、かなり大きなものスピーカーが各個室の壁に設置されているので、音量が大きい場合、寝ていて音でビックリして叩き起こされることもあるのです。(+−+)【実は僕も前回の乗りつぶし撮影行のときに、この「おはよう放送」でビックリして叩き起こされました。】まあ、それはともかく、起きてきた潮君や鈴木君、遠藤君などと話しながら、シーツなどを片付け、身支度を整え、降りる準備をし、秋田に着くまでの間、ゆっくりと車窓の景色を眺めていました。そして、だんだんと海岸線が遠ざかり、住宅地が増えてきました。まもなく秋田です。列車が雄物川橋梁にさしかかる頃、秋田到着のアナウンスが「鉄道唱歌」のアナウンスチャイムと共に始まりました。

「秋田でお降りの皆様、ご乗車お疲れ様でした。あと5分ほどで秋田に到着いたします。3番線に到着、お出口は右側です。秋田よりお乗り換えの皆様にご案内申し上げます。東京行き『秋田新幹線こまち』をご利用のお客様、『秋田新幹線こまち6号』東京行き、12番線より7:42、大曲・横手・湯沢方面奥羽本線上り普通列車横手行き、5番線より6:55………でございます。皆様、お忘れ物のない様に十分ご注意下さい。本日は『寝台特急あけぼの』号をご利用いただきましてまことにありがとうございました。まもなく、秋田、秋田でございます。ありがとうございました。」(^O^)

僕らは降り支度を済ませ、デッキで到着するのを待ちました。こうして、高崎を出発してから7時間後の6:52、「寝台特急あけぼの」は秋田駅の3番線ホームへと滑り込みました。僕らはすがすがしい9月の朝日の中を世話になったB個室「ソロ」を見ながら秋田駅のホームへと降り立ちました。

(つづく)


2001年8/31(金)・9/1(土)

実況中継!「寝台特急あけぼの」車中より

at 2001 09/01 01:33 編集

僕のホームページへ来てくださっている常連の皆さん、日記などを見て初めて来られた皆さん、こんばんは!。(^O^)/いよいよ、「乗るぞ!『快速リゾートしらかみ』男鹿・五能・津軽鉄道同乗夜行1泊2日大乗りつぶし撮影行」がスタートしました。現在、2021レ、「寝台特急あけぼの」の6号車の一人用B個室「ソロ」の車内にいます。先程、0:35、新清水トンネルを抜けて新潟県へ入ったところです。今、上越線を長岡に向けて六日町付近を走行中です。本日の「寝台特急あけぼの」の牽引機はEF81 135(青)。僕の乗るB個室ソロはオハネ25 554(森アオ)です。高崎を23:21に発車し、水上で運転停車のため、0:16着:20発で出発。0:25に新清水トンネルに突入し、新潟県へ入りました。これから、長岡・新津と運転停車をしていきます。長岡には深夜の2:00頃、新津には2:30頃に停まり、運転手交代を行います。そのときに、長岡では上りの「寝台特急北陸」、新津では「寝台特急日本海2号」と駅停車中にすれ違います。両者ともに30分以上停車します。それでは、僕もそろそろ寝ます。明朝は秋田に6:56に到着し、7:06の男鹿線で男鹿へ行って、ちょっと周辺見物をして、9:04発の男鹿線の列車で追分へ。そして、追分から「快速リゾートしらかみ」に乗りこみます。周辺の皆さんで、ぼくと会いたい皆さん、乱入はOKですョ!!。それではおやすみなさい!!。(^−^)

2001年8/26(日)、特写!16年ぶりに復活!「特急ひばり」

黒磯ドライブ撮影行

at 2001 08/31 05:42 編集

2001年8/26(日)、僕は列車撮影で車で栃木県矢板市の東北本線(宇都宮線)・矢板〜野崎の箒(ほうき)川橋梁に行ってきました。狙いはテレビのニュースでもやったのですが、16年ぶりに1日限りの復活運転をした東北本線の名列車「特急ひばり」号です。この「特急ひばり」は東北新幹線が出来るまで、上野〜仙台を最大20往復も走った列車で、他の東北本線を走った特急なども含めて、東北本線(宇都宮線)の黄金時代を作った列車です。>それが16年ぶりの復活運転ということで、僕はネット鉄チャン仲間の前橋在住の中学3年生、富澤裕太君と一緒に国道122号線を日光・今市経由で夜中に出て撮影してきました。撮影地は栃木県矢板市の箒川の鉄橋で、すぐ脇を国道4号線が通っているところです。その国道4号線と東北本線(宇都宮線)の線路が右下りカーブをしながら箒川を渡るところの間にそんなに広くはないのですが、川辺の山を崩した築堤の上に国土交通省の宇都宮国道工事事務所の資材置き場があった空き地があり、そこから箒川橋梁を撮影するというところなんです。東北本線(宇都宮線)の線路と国道4号線との距離は約150mほど。国道4号線は対面通行で箒川の「野崎橋」を渡り、渡ったところで国道461号線を分岐して東北本線(宇都宮線)を斜め左に弧線橋でオーバークロスするというところになっています。東北本線(宇都宮線)の箒川橋梁は上下線ともに左側に柱のある架線柱のデッキガータ橋で、上り線の列車を何の障害もなくすっきりと長い編成を撮影することが出来るため、鉄道雑誌でも紹介され、全国の鉄チャンたちにもあまりにも有名なお立ち台(有名撮影地)となっているのです。僕もよくここに撮影に行くのですが、今回は、早朝に上野へ戻ってくる「寝台特急はくつる」から撮影しようということで、自宅を23:30に出発。桐生駅で前橋からの両毛線最終桐生止まり493Mで来る裕太君を乗せて向かいました。途中、裕太君がわたらせ渓谷鉄道にまだ乗ったことがないから車輛も見たことがないということで、本拠地の大間々駅と足尾駅によって、先日JR東日本高崎支社より購入した元「お座敷列車やすらぎ」の「サロン・ド・わたらせ」を見たりしながら、現地に3:30に着きました。もちろん、到着したときはまだ真っ暗でしたが、僕らは川縁に三脚をおいて車の中で仮眠していました。(−O−;)zzz・・・でも、裕太君はもちろん、この箒川橋梁(東北本線)は初めてのため、どんな場所かが分からないために三脚を持ってくるのを忘れてしまったのです。仕方ないので、撮影するときは僕の一脚を貸して撮影させました。(^−^;;)この箒川橋梁(東北本線)の撮影地である空き地は国道4号線からの入口と箒川へ下りていく道が鎖で封鎖されていて、車は国道4号線の右側にある路側帯と空き地の入口の歩道にある入口のスロープにしか停められないのです。しかし、川辺へ下りていく道の脇は雑草が生えていて、そこを車が通った轍があり、そこから空き地内に停めた形跡がありました。ただ、その車が通った後の轍のところ以外は側溝があるので車は通れないのですが・・・。(^−^;;)そんなわけで、この箒川橋梁(東北本線)は最寄の野崎駅から徒歩で15分くらいのところにあるのですが、やはり15分も歩くのは遠いので、車で来る鉄チャンたちが大変多く、駐車スペースの少ないのが毎度問題になり、特別な列車が走るときになると、国道4号線右側の歩道と路側帯を中心に縦列駐車が始まり、それを見た地元の人やたまたま国道4号線を通りかかって撮影中の鉄チャンたちを見て興味を持った一般の野次馬も重なって、毎回、国道4号線が大渋滞になってしまうという問題も抱えている撮影地なんです。現地へ行ったときはまだ早朝なので僕らが一番乗りでしたが、他の沿線の撮影地ではすでに全国から集まった鉄チャン達が集結を始めていました。
 そんなこんなで、早朝4:40、夜が白々と明るくなってくる中で「寝台特急はくつる」を撮影。JR東日本青森運転所の赤いEF81型電気機関車に引かれた24系25型ブルートレイン9連が静かに通りすぎていきました。さあ、それからがこの箒川橋梁の朝の始まりです。早朝に東京へ到着する高速貨物列車や普通列車がひっきりなしに通ります。それに混じって、豪華寝台特急の「寝台特急カシオペア」【EF81 92(田)牽引】「寝台特急北斗星2号」「臨時寝台特急北斗星82号」「寝台特急北斗星4号」【EF81 98(田)牽引】や踊り子色だったJR東日本田町電車区185系200番代7連「新特急おはようとちぎ4号」、そして最新鋭機のJR貨物仙台総合車輛部所属のEH500型【当日は最新10号機】牽引の高速貨物列車20連3086レなどが箒川橋梁を通過。早朝のうちは僕ら2人だけだったのが、午前7:00を過ぎる頃からパラパラと鉄チャン達が集まりだし、朝の「寝台特急カシオペア」「寝台特急北斗星」EH500型貨物の通過する時分になると、撮影地には10人ばかりの鉄チャン達がやってきていました。朝のうちは曇っていた空も次第に晴れてきてしまい、10:00頃には絶好の撮影日和となっていました。しかし、それは同時に夏の撮影の大変なところである暑さとの戦いともなっていて、朝から他の列車も含めた「特急ひばり」撮影の鉄チャン達は暑さに耐えながら、ただひたすらジ〜っと列車通過を待つ持久戦をすることとなってしまいました。僕もあまりの暑さに車の中に入り、クーラーを作動させて涼んでまた外に出るの繰り返し!。裕太君はただひたすらジ〜っと暑さに耐えながら、現場に来た鉄チャン達にこの箒川橋梁(東北本線)のことなどの鉄道情報を教えてもらっていました。しかし、とにかく箒川橋梁(東北本線)は「お立ち台の中のお立ち台」と言われるくらいのところですので、鉄チャンたちが来るわ来るわ…。(x−x;;)鉄チャンが増えるということはそれだけ撮影地の良いアングルが取られてしまうということで、むやみに動くこともままならない状態になり、お昼になる頃、どの鉄チャンたちもとりあえず弁当だけは持参してきているようでしたが、あまりの暑さで飲み物を飲みきってしまってみんなカラカラの状態になってしまったのです。(x−x;;)仕方がないので、見ず知らずの当日「特急ひばり」を撮影したいばかりに現場に集まった同じ通過の一瞬を共有したい鉄チャンたちで一致団結し、車持ちの鉄チャン達で「買い出し部隊」が結成され、約3Km離れたコンビニ・スーパーまで飲食物を買いに行かされることとなってしまいました。(X−X;;)もちろん僕も車持ちなので、荷物管理は裕太君他、現地組に頼んで買い出しに行かされましたが・・・。(^−^;;)
しかし、行かされている間にも鉄チャン達がさらに続々とやってきます。最初に車を停めていたところも買い出しから帰るともう別の人に停められてしまってる始末。ホントはダメなのですが、やむなく、河原へ入る道のところの轍を通って、空き地内に停めざるを得ない状態となってしまい、ゆっくりと空き地内へ車を移動しました。お昼過ぎには「お座敷列車ゆとり」と「お座敷電車華」が通過するのですが、とうとう困ったことに大勢の鉄チャンたちをたまたま国道4号線を通りかかって見みつけた親子連れや観光客などの一般のドライバーのみなさんが何事かと国道の右側の路側帯に縦列駐車をしだしてゾロゾロと車を降りてきたり、見るためにノロノロと車を運転したりして見物し始めてきてしまったのです。(@−@;;)/鉄チャンたちがもとで渋滞がたびたび発生するようならば、撮影禁止になりかねません。しかたなく、数人で今度は車輛誘導と通過列車の説明を一般の人たちや後から来る鉄チャンたちにしなくてはなりませんでした。おかげで「お座敷列車ゆとり」「お座敷電車華」は撮り損なってしまいました。(x−x;;)
そこで僕は一計を案じ、国道の野崎橋の欄干に買い出しのときに買ってきた厚紙と両面テープとマジックで看板を作り、国道を通る車のドライバーに何が通るのかや通過予想時刻、路側帯の縦列駐車や国道の横切り横断の禁止などを書いて張り出しておきました。そうしたところ、見物および通りかかった一般のみなさんが見ること見ること・・・。終いには一度通りかかって僕の作った看板を見た人が、近くのコンビニに行ったり自宅に戻ったりしてカメラを持って再び戻ってくるなど、もう撮影地はお祭り状態!!。(X−X;;)中には夏休みで那須方面に遊びに行く予定だったのでしょう、ツーリングのカップルがこちら鉄チャン達の三脚の林と人ごみを見て何事かと聞いてきて、貴重な16年ぶりに運転の「特急ひばり」が通るということを知るや否や、カメラを取り出して鉄チャン達に混ざって取り出してしまうほど・・・。とうとう列車通過20分前には僕を始めとした現地の鉄チャン達では対応しきれず、ついに国道4号線は「特急ひばり」の通過を見たい鉄チャンおよび一般のドライバーや現地の人たちによって

大渋滞!(@−@;;)/

(x−x;)/


となってしまったのでした。(^O^;;)

そんな状況下で、やはり鉄チャンが仙台方向にも多数いるのでしょう。東北本線(宇都宮線)の普通列車などが遅れを出し始めてきてしまったのです。そんなわけで通過時刻である15:30になっても「特急ひばり」は姿を表しませんでした。遅れが重なり、途中で追い抜かせた列車が次々と通過していきました。通過時間が近づくにつれ、それまで騒いでいた鉄チャン達や一般のみなさんの間も緊張が走ります。そして遅れること20分、いよいよ485系「特急ひばり」が姿を表しました。



「来たぞ〜〜〜〜〜〜〜!!!」(^O^)/

来た瞬間、僕も思わず他の鉄チャン達と一緒に絶叫!!。それを合図に一般の皆さんから

「ウワァ〜!!」(@〇@)/

…と声が上がりました。


大勢の熱い視線とカメラの放列。シャッターを切る音。その中を「特急ひばり」のイラストトレインマークと「特急ひばり・上野〜仙台」のサボをつけたクリーム色に赤帯の「国鉄特急色」の青森運転所485系8連はゆっくりと箒川橋梁を通過していきました。もちろん、僕もバッチリと撮影しましたョ!。(^−^)その一瞬はホントに感無量でした。そして、列車が通過してしまうと、それまで大騒ぎの撮影地からすぐに鉄チャン達が撤収しはじめ、渋滞も解消し、瞬く間に箒川橋梁はいつもの静かな状態に戻ってしまいました。その余韻の残る中、帰ってきました。帰りに今市の国道119号線と国道121号線の交差点にあるにある有名な「日光みそのたまり漬け」の上澤(かんざわ) 梅太郎商店に立ち寄りました。ここの「たまり漬け」は「日光みそ」で漬けているため、味がよく染み込んでいてしょっぱいながらも旨味がとってもある、とってもおいしいんです。特に、この上澤 梅太郎商店ではたまり漬けのラッキョウが大変においしく、名物となっています。とにかく、日光・鬼怒川温泉への観光バスで来た観光客が必ず寄っていくというお店です。僕もこの上澤商店のたまりラッキョウが大好物で、毎度矢板方面の列車撮影や鬼怒川温泉への家族での温泉旅行の時には帰りに立ち寄って買っていきます。特に、この上澤商店の中にはお茶を飲みながら試食でラッキョウやナスなどが食べられる休憩所があるのですが、その休憩所にある試食のラッキョウやナスがまた大きなどんぶりでど〜〜〜ん!と山盛りいっぱい出てくるんです。それもそのはず。実は、この上澤商店では観光バスで来たお客さんが休憩中に、お茶を飲むための紙コップに名物のラッキョウをごっそり入れて持ちかえってしまって観光バスの帰りの道中でお茶菓子代わりにつまんで食べてしまっているんです。それがいつのまにかお店でも買ってくれるからということで暗黙の了解となってしまい、終いには一般のお客さんまでお茶と一緒に紙コップにラッキョウやナスなどを持っていってしまうため、すぐに無くなってしまうという訳なんです。僕も来るたびにコップにラッキョウを入れてきてしまうんですけれどね。その撮影の帰りも裕太君にその話をしたところ、

「エ〜〜!そうなんですかぁ〜!?」(@−@;)/

と言ってビックリしていました。(^O^;;)もちろん、帰りに二人でラッキョウとナス・キュウリ(各一袋¥500)を買いこみ、コップにラッキョウやナスなどを入れて帰りながらポリポリ食べましたが…。
 そんなわけで、列車撮影をしてみたいというみなさん、ぜひこの箒川橋梁へ行ってみてはどうでしょうか。ただし、ベテランの鉄チャンたちがゾロゾロ来ますので、そのつもりで行ったほうが良いかも!?。(^−^)さあ、いよいよ31日より「乗るぞ!『快速リゾートしらかみ』男鹿・五能・津軽鉄道同乗夜行1泊2日大乗りつぶし撮影行」です。どんな旅になることやら・・・。(^−^;;)現地から実況中継も行いますのでお楽しみに!。それでは。(^O^)/



8/26(日)実況中継!特写!「特急ひばり」

at 2001 11/26 02:37 編集

僕のホームページに来訪していただいている皆さん、新着日記を見てきてくださった方、こんにちは。(^−^)現在、僕は栃木県矢板市の東北本線(宇都宮線)・矢板〜野崎の箒川橋梁(東北本線)にいます。今日は16年ぶりに復活運転をしている「特急ひばり」を撮影にやってきました。今日は、いつも僕のページに来てもらっている富澤 裕太くんと一緒に撮影に来ています。天気は回復し、現在、晴れてきました。沿線は、全国から集まった鉄チャン達が大集結している状態で、どこもかしこも東北本線(宇都宮線)沿線は鉄チャンだらけです。(^−^)僕と裕太くんの撮影している箒川橋梁(東北本線)も多数の鉄チャンが来ています。先ほど、「寝台特急カシオペア」「寝台特急北斗星2号・82号・4号」最新型EH500 10号機牽引の高速貨物列車が通過していきました。これから暑さによる非常に過酷な撮影条件となってきます。近くの皆さんで、撮影に来られる方は十分、暑さ対策などを考慮して来てください。なお、僕らのいる箒川橋梁(東北本線)は国道4号線のすぐ脇ですので、駐車スペースが余りありません。こちらにこられる方は注意して来て下さい。それではがんばります。(^−^)

8/22(水)緊急鉄道情報!台風11号本州直撃!!

at 2001 08/22 04:33 編集

昨日夕方、ついに台風11号が本州に上陸しました。このため、昨日・今日ともに遅延・運休の列車が続出しています。運休・遅延になっている列車を全て報告します。

 特急ワイドビュー伊那路(全列車)
 特急ワイドビューひだ(全列車)
 特急ワイドビュー南紀(全列車)
 関空特急はるか(全列車)
 特急スーパーくろしお
 L特急くろしお
 特急オーシャンアロー(全列車)
 夜行快速ムーンライトえちご
 夜行快速ムーンライトながら
 寝台特急北斗星1〜4号
 寝台特急北陸
 寝台特急カシオペア
 寝台特急日本海1〜4号
 寝台特急あさかぜ
 寝台特急さくら
 寝台特急はやぶさ
 寝台特急富士
 寝台特急出雲
 寝台特急サンライズ出雲
 寝台特急サンライズ瀬戸
 寝台特急あかつき
 寝台特急彗星
 寝台特急なは
 寝台特急トワイライトエキスプレス
 寝台特急あけぼの
 夜行急行能登
 夜行急行きたぐに
 急行かすが
 特急ワイドビュー東海
 特急スーパービュー踊り子
 L特急踊り子
 新特急あかぎ
 新特急さわやかあかぎ
 新特急水上
 新特急草津
 特急ワイドビューしなの
 L特急あずさ
 特急スーパーあずさ
 L特急かいじ
 特急フレッシュひたち
 特急スーパーひたち
 新特急ホームタウン高崎
 新特急ホームタウンとちぎ
 新特急おはようとちぎ
 寝台特急はくつる
 夜行急行だいせん
 夜行急行ちくま
 急行アルプス
 秋田新幹線こまち
 東北新幹線やまびこ
 上越新幹線あさひ
 山形新幹線つばさ
 上越新幹線たにがわ
 東北新幹線なすの
 東海道山陽新幹線ひかり
 東海道山陽新幹線こだま
 東海道山陽新幹線のぞみ

以上の列車については各JRの駅に問い合わせの上、出発されることをお勧めします。とにかく、みなさん、台風には十分注意しましょう!!。(^o^;;) 

7/31特写!東北ブルートレイン!続報!

at 2001 07/31 08:59 編集

現在、まだ東北本線(宇都宮線)の箒川橋梁(東北本線)にいますが、実は「寝台特急カシオペア」「寝台特急北斗星」が大幅に遅れています。こちらでだいたい調べたところ、津軽線・津軽海峡線方面の大雨が原因しているようなのですが、どのくらい遅延が出ているのかが不明です!!。この日記を見ている鉄チャンのみなさんで、何か情報が入りましたら、ぜひこちらへ知らせてください。よろしくお願いします。

7/31(火)、実況中継!特写!東北ブルートレイン!

at 2001 07/31 05:56 編集

毎度、僕のページに来てくださる鉄チャン・旅行ファンのみなさん、おはようございます。(^O^)/ 現在、午前5:50、僕は栃木県矢板市の東北本線(宇都宮線)、矢板〜野崎の箒川橋梁(東北本線)にいます。本日の狙いは、夏場、日の長い時期しか撮影するのが難しい「寝台特急はくつる」を始めとして、今日札幌より戻ってくる「寝台特急カシオペア」「寝台特急北斗星2・4号」「臨時寝台特急北斗星82号」「新特急おはようとちぎ4号」などの旅客列車。さらにEH500型牽引の1000t級貨物列車、高速専貨3060レなどの東北本線(宇都宮線)の高速貨物列車の撮影です。さきほど、4:35、無事「寝台特急はくつる」が通過していきました。どうにか撮影成功!。(^−^)、現在、「寝台特急カシオペア」を待っているところです。しかしながら、現在の時間帯は仙台・青森・北海道方面への下りの貨物列車が通過中で、現在いる箒川橋梁(東北本線)では撮影できない状態で、ちょっと残念なのですが、とりあえず、今日はここで午前10:00頃までロケハンをするつりです。僕のページを見に来た皆さんで、近場のみなさん、よかったら一緒に撮影しませんか?。それでは、がんばりまぁ〜す!!。(^O^)/

6/24、上越線に「お座敷列車旅路」入線!

at 2001 06/25 17:20 編集

昨日、6/24(日)、上越線にはるばる広島から「お座敷列車旅路」がやってきました。長岡より水上までの入線でしたが、撮影してきました。桐生から北関東自動車道の伊勢崎インターへ行って、高崎ジャンクションを経由し、関越自動車道の水上インターで降りて、上越線の水上以北の第一ポイント、第6利根川橋梁へ。ところが行ってみると、水上駅から近いため、列車組も含めて自動車組の鉄チャン達で大混雑状態!!。(X−X;;)狭い町道に鉄チャン達の車が30台びっちり縦列駐車をしていました。これでは撮影になりません!。(x−x;;)仕方なく、僕は上りのポイントとして上越線の湯桧曽駅の上り線ホームへ行きました。ここは上越線の旧本線ですから、ループ線になっているため、列車がくると山腹に見えるんです。そうして、左カープをしながらループトンネルで降りてくるのです。行ってすぐに、湯桧曽の山腹の上り線を「旅路」がやってきました。そしてループの湯桧曽トンネルへと入ります。牽引してきたのはEF64 1052(長岡)。トンネルを抜けるとこちら湯桧曽駅のホームです。すぐ真横をスピードを押さえながら通過していきました。そして、僕はすぐに機材をたたんで、今度は新潟県湯沢町の上越線、通称「岩原大カーブ」へ。関越トンネルを抜けて、湯沢インターで降りました。ここは、往年の「特急とき」「急行佐渡」などを撮影するのにはもういうことのない場所としてお立ち台となっています。その通称の名の通り、急勾配を緩和するためと勢いをつけるために、岩原スキー場前駅を出ると、列車はΩ上のカーブを切って上っていくところなのです。つまり、約270度のパノラマ撮影ができるという特別な場所なのです。しかし、ここは車でないと行くことの出来ないポイントで、上越線の水上〜越後湯沢は定時2時間に1本の割合の運行なので、移動が出来ないのです。そのため、今回は初めて車で行きました。行ってみると、すでに東京方面からの鉄チャン達が15人ばかり集結していました。その人たちと肩をならべ、列車通過を待ちました。13:51、EF64 1052に引かれた「旅路」は大きく傾きながら「岩原大カーブ」へやってきました。緊張の糸がいっぺんに切れました。

「来たぞ〜〜!!」



EF64 1052のブロアーの音、「旅路」のサービス電源のディーゼルエンジンの音、そしてカメラのシャッターの音。一瞬の大興奮の後、列車は無事に通過していってしまいました。そして、僕は清水トンネルの新潟側出口を見て、帰ってきました。

6/6(水)実況中継!八高線踏切故障で大幅な遅れ!

at 2001 06/06 07:32 編集

現在、八高線の児玉駅にいます。高麗川行き222Dに乗っているのですが、実は今日、下り列車の221Dが松久駅を出発しようとしたところ、踏切が故障した模様で、列車が本来、222Dが児玉駅を7:01発のところを現在、約30分ほど遅れて運転されています。沿線でこれから利用される皆さんは十分注意して利用してください。僕もいつ大学に着けるか分からない状態です。それでは。


5/12(土)実況中継!JR東日本大宮工場一般開放イベント

at 2001 05/12 11:46 編集

現在、JR東日本大宮工場に来ています。今日は、JR東日本大宮支社設立記念とさいたま市誕生を記念して、今日のみ15:00まで(入場は14:30まで)一般開放をやっています。今日は、見学のためにやってきました。今、JR貨物大宮車輛所の機関車研修庫の休憩所より書き込みをしています。さきほど、実演でEF65 1073(新鶴)の車体ジャッキアップの実演が行われました。また13:30よりジャッキアップが行われます。このほか、夢空間車輛などの車内見学会や、253系特急成田エキスプレスの体験乗車会など、楽しいイベントがいっぱいです。このページを見に来て皆さん、ぜひ、来られてはどうでしょうか。ただ、大変な来場者のため、行列が大宮駅まで達している恐れがありますので、それなりの覚悟の上、来てください。僕に会いたい方は、携帯電話のほうにメールをくれればどこにいるのかお知らせしますので。それでは。


4/29(土・祝)実況中継!特写!「特急懐かしの583系はつかり」

at 2001 04/29 12:13 編集

やっと、調子の悪かったパソコンが直ってきました。復帰記念もかねて、約30年ぶりにリバイバル運転をした「特急はつかり」を撮影に今、東北本線(宇都宮線)の野崎〜西那須野の間の線路際にいます。どうにか列車は撮影できました。「特急はつかり」は現在は、盛岡〜青森で走っていますが、東北新幹線開業以前は、長躯、上野まで11時間をかけて運転されていました。今日はそのリバイバル運転の2日目になります。青森運転所583系12連が使用されました。昔ながらの黄緑色の文字に懐かしの「JNRマーク」を取り付けて颯爽と通過していきました。
 今日は、これより黒磯方面へ行って、ED75の貨物などを撮影して帰るつもりです。それでは。

3/31(土)「快速SLさよなら!『お座敷列車やすらぎ』」撮影行

at 2001 04/02 21:09 編集

3/31、いよいよ地元・群馬県のお座敷列車、「お座敷列車やすらぎ」が引退する日となりました。天気は引退を惜しむかのような最悪の雪混じりの雨となりました。
 午前7:40、桐生の自宅を出発。車で大胡町を経由してまずは第1利根川橋梁(大正橋)へ。途中で食料調達をしていきました。今回の撮影行はスペシャルゲストとしてうちのページに来てくれた前橋の中学生鉄チャンの富沢 祐太くんと一緒に撮影をすることにしました。
 第1利根川橋梁(大正橋)へ行ってみると、いつもながら第1利根川橋梁(大正橋)の渋川方・北橘方とも全国から集結した鉄チャン達によって占拠されて大混雑状態!。雪混じりの雨はますます降り方を強め、とても第1利根川橋梁(大正橋)では撮影出来る状態ではありません。やむなく、僕らは撮影地を第3利根川橋梁(棚下橋梁)に変更することにしました。たまたま来ていた僕の鉄チャン仲間も含めて3人で第3利根川橋梁(棚下橋梁)へ。ここは子持村の棚下トンネルの手前にあります。鉄道雑誌などでもよく俯瞰撮影をされて有名な場所です。ここの利根川の土手で撮影しました。まず、「お座敷列車せせらぎ」+「お座敷列車やまなみ」を撮影し、10:45、ドラフト音も高らかにD51 498牽引の「お座敷列車やすらぎ」が姿を表しました。橋の下からやるという難しい条件ではありましたが、僕も富山くんもなんとか撮影することができました。そして、戻ってくる上り列車まで時間があるということで、僕らは沼田市の市内観光ということで、天狗で有名な迦葉山弥勒寺へ。ここの「返り面」を今後の鉄道趣味活動安泰のために富山くんにもたせてあげました。そして、次のポイントの上越クリスタル付近へ。ここは後閑駅からすぐちかいところにあります。ここで「お座敷列車やまなみ」+「お座敷列車せせらぎ」を撮影。そして、D51+「やすらぎ」をやろうと思ったのですが、場所があまり良くないので再び戻って第2利根川橋梁(津久田鉄橋)へ。しかし、ここも通過時間が迫っているため、多くの鉄チャン達で占拠されていて撮影できない状態。しかたなく僕らは県道下久屋渋川線を渋川方に進んで赤城村の弧線橋の下辺りで撮影しました。しかし、フィルムが終わってしまい、あまり良く撮れなかった上、吹雪状態の横殴りの雪と雨という最悪の状態。とにかく、最後の最後まで地元の鉄チャンとして追いかけるぞ!ということで、よりにもよって関越自動車道を赤城インターから前橋インターまで乗って、高崎運転所へ行ってD51を撮影してきました。
 まあ、とにかくこれで「お座敷列車やすらぎ」は終焉を迎えましたが、出来れば「お座敷列車やすらぎ」も碓氷峠鉄道文化むらあたりで保存してもらえるとうれしいと思います。とにかく、



ごくろうさま!さよなら!「お座敷列車やすらぎ」!ありがとう!!。(^O^)/



3/28、無事に「お座敷列車やすらぎ」両毛線最期の入線撮影成功!

at 2001 03/28 13:10 編集

さきほど、やっと両毛線の渡良瀬川橋梁から戻ってきました。大迫力の通過でした。11:20、僕が今か今かと待ち構えているときにEF65 1100(田)の姿が見えました。

「来たぞ〜!」



見えた瞬間、夢中でシャッターを切り始めました。周辺には渡良瀬川のやまめ釣り解禁で来ていた釣り基地の皆さんが多数いましたが、そのみなさんも一斉に手を止めてこちらを注目しました。EF65 1100(田)の青いボディーに続き、白い「お座敷列車やすらぎ」がサービス電源のエンジン音を響かせてゆっくりと通過していきました。そして、最後尾にはプッシュプルの茶ガマEF64 1001(高運)。両毛線最期の運転にとてもふさわしいスペシャル編成でした。欲を言うならば、EF65 1100が「お座敷列車やすらぎ」の専用機のEF60 19(高運)だったらなぁ〜とも思いましたが、十分の大迫力の入線でした。岩宿付近をはじめとして、今日は両毛線沿線は、平日にもかかわらず、多くの両毛線沿線の地元の鉄道ファン達が集結し、「お座敷列車やすらぎ」に別れを告げにやってきました。高崎運転所所属のお座敷列車なので、地元の鉄道ファンとして僕もとても馴染み深く、いつもよく桐生に来ていたので、来れば「また『やすらぎ』だ!」と半ば撮り飽きてバカにしていたこともありました。しかし、一番の思い出は今は無き、「お座敷列車くつろぎ」との併結による長大な12連というスペシャル編成を組んで、両毛線および群馬県内、そして首都圏を中心にあちこちへとその姿を見せたことです。僕もその「お座敷列車やすらぎ」&「お座敷列車くつろぎ」の堂々12両フル編成を見たときは、あまりのすごさに魅了されてしまいました。もう、その勇姿も見られなくなってしまうのは、本当に地元の鉄道ファンとしても残念で仕方ありません。(;−;)、今週の土曜日、31日が、いよいよ「お座敷列車やすらぎ」の本当に最期の運転となります。それもSLのD51 498(高運)と組んでの「快速SLさよなら!『お座敷列車やすらぎ』」として高崎〜水上を1往復します。僕もこれを撮影に31日は行ってくるつもりです。とにかく、いままでありがとう!!。

さよなら!「お座敷列車やすらぎ」!!ありがとう!!。(;−;)




3/28(水)、実況中継!「お座敷列車やすらぎ」最期の両毛線入線!

at 2001 03/28 10:48 編集

現在、10:42。僕は今、両毛線の岩宿〜桐生の渡良瀬川橋梁にていよいよ引退間近になった「お座敷列車やすらぎ」の撮影をしています。今日は、いよいよ僕の地元の両毛線の最期の入線ということになりました。下りは岩宿駅付近でどうにか撮影をすることが出来ました。牽引機は小山方よりEF64 1001(高運)、高崎方先頭はEF65 1100(田)のプッシュプルにて運転されています。これから上り列車の撮影をします。桐生を11:18に通過します。10:45、佐野を出発する予定です。うまく撮影できたかどうかは今日の夜辺りでも報告します。おたのしみに!。では、がんばって撮影するぞ!。さよなら!「お座敷列車やすらぎ」!!

12/23・24 年忘れ!大豪雪!「青春18きっぷ」で行く上信越安曇野1泊2日乗りつぶし撮影行(2日目)

at 2001 02/26 01:50 編集

12/24(日)、クリスマスイブになりました。天気は晴れ。この日も絶好の乗りつぶし撮影行日和となりました。が、ホテルの暖房が効き過ぎて乾燥状態になってしまったために、僕や潮君は咳き込んでしまい、水を飲みに行ったり、トイレへ行ったりなどであんまり長く寝られませんでした。結局、ほとんど熟睡できずに6:30起床。大浴場へ。露天風呂から見る日の出はとてもきれいで、ホテルから遠くに富士山が見えました。諏訪湖も朝になるにつれて周りが良く見えるようになってきたので良く見まわしてみました。上諏訪の温泉ホテル街がとてもよく見え、諏訪湖名物のワカサギの養殖場が湖の上にいくつも作られていました。8:00朝食。1階の宴会場で食べました。ここの名物だという珍しいワカサギの開きをあぶって食べました。ワカサギは名物なのですが、ワカサギの開きの干物にはビックリしてしまいました。焼いて食べるワカサギも結構おいしかったです。
 9:00にホテルを出発。ホテルの送迎車で下諏訪駅まで送ってもらい、駅に荷物を置いて下諏訪観光の目玉の1つ、諏訪大社下社秋宮へ参詣。ここは7年に1回行われる、テレビでも放映されて有名な、ここの奇祭「御柱祭り」の御柱が奉納されているところです。この御柱は全部で7本あるのですが、そのうちの2本は下諏訪駅前の駅モータープール入口のところに立ててあります。残りはぜんぶこちら諏訪大社下社秋宮に奉納されていて、誰でも見ることが出来ます。下諏訪駅から諏訪大社下社秋宮までは歩いて5〜10分ほど。駅前通りを抜けて突き当たりの信号を右折。するとその道は国道20号線なのですが、旧中山道の通りでもあるので、街道筋の古い建物とかがいっぱい建っていました。下諏訪は中山道の宿場町と諏訪大社下社秋宮の門前町(寺社町)、そしてここの温泉によって発展した町です。諏訪大社下社秋宮までの道にもいくつか温泉が涌き出ているオブジェなどがあり、誰でも気軽に下諏訪温泉のお湯にふれることが出来ます。その中山道へ駅前通の信号から出て右折してちょっと歩くと坂道にあたり、それを登りきったところが諏訪大社下社秋宮。つまり、その中山道の街道が諏訪大社下社秋宮の参道になっているんです。その参道にはいろいろなオルゴールを展示・販売している「下諏訪オルゴール博物館」や下諏訪のこれまた名物である「諏訪大社下社秋宮ぬれせんべい」のお店が軒を連ねていました。そして、境内へ。境内には国宝の「神楽殿」など、いくつもの国宝の建物が建っていました。そこに残りの御柱が立っていて、ご神木として祭られています。みんなで無病息災・今後の各自の鉄道趣味活動安泰などを祈願し合掌してきました。お土産に諏訪大社下社秋宮の一番小さい木札の「諏訪大社下社秋宮2号札」(¥1000)を購入。他のメンバーもみんな参詣記念にお札やお守りを買いこみ、下諏訪駅へ戻ってきました。(下諏訪駅では大きな荷物を1つ¥400で預かってくれました。)
 さあ、いよいよ最終日2日目の旅の始まりです。10:26�◆�甲府発431M、115系新長野色3連X2の6連に乗りこみ松本へ。僕らが乗った車輛はクハ115 1026(長ナノ)でリニューアル改造を施した115系でした。出入り口付近のロングシートにはドア入口のところに花の絵の書かれたアクリル板が設置され、一部の座席を撤去し車椅子スペースにしてありました。甲府発松本行き普通列車ということでかなり混雑していました。まず中央本線(中央東線)の単線区間を抜け、岡谷へ。これより昨日通った中央本線(中央東線)[旧線]とは別の中央本線(中央東線)新線「塩嶺コース」へ入ります。これは昨日通った松本盆地と諏訪盆地の境界にあたる善知鳥峠などの山を新線の「塩嶺トンネル」によって突っ切ってしまっているのです。1983年(昭和58年)7月にこれが出来たおかげで、岡谷〜塩尻の時間短縮がなされたというわけです。そんなわけで、僕らもそこを通ってきました。岡谷駅を出発し、列車は新線の高架線へ入ります。これより中央本線(中央東線)新線「塩嶺コース」は複線電化で開業していますので複線に再び戻ります。上下別線となり、右に大きくカーブしながら間に昨日通った辰野回りの中央本線(中央東線)[旧線]をはさみ、それが左にカーブし始めたところを下り線がそれをオーバークロスし、再び上り線と合流すると同じに長い塩嶺トンネル(5994m)に突入!。通過するのに約5分ほどかかりました。新線ということで、列車も110km/hくらいは出していたでしょう。レールは新幹線と同じつなぎ目が斜めつなぎになっているので、お馴染みの「ガタンガタン!」という音はせず、常に「ゴ〜〜!」という音がしていました。車内もほとんど揺れません。複線でトンネル内には案内灯があり、それがいくつもすばやく通過していくので、白い線のように見えました。そんなこんなでようやく、塩嶺トンネルを抜けると昨日夜景で見た松本盆地が見えてきました。その塩嶺トンネルを抜けてすぐの掘割区間に設置されているのが中央本線(中央東線)新線「塩嶺コース」の新駅で無人駅になっているみどり湖駅。駅は対面通行になっている線に対向式になっていて、駅はこの上に通っている市道の弧線橋によって結ばれていました。ここを発車し、しばらく行くと車窓左手より、山田線を降りてくる中央本線(中央東線)[旧線]が左に右にカーブをかきながら迫ってきます。そして、塩尻大門の手前で中央本線(中央東線)新線「塩嶺コース」に合流し、塩尻駅へと入っていきました。
 そんなこんなで、再び松本へ。これより私鉄の松本電鉄上高地線の乗りつぶしをします。その列車待ち合わせの時間に、メンバーの何人かが荷物をロッカーにおいてくるというので、そのまま松本電鉄に持って行く組は、構内の改札前の待合室へ。そこでは雪をかぶった、これから行く上高地方面の山々と昨日通ってきた安曇野の山々がとてもきれいに見えました。松本電鉄上高地線のホームは松本駅の7番線にあります。松本着10:56。一旦改札を出て松本電鉄の切符を買い、再び改札を通り、弧線橋一番奥の第4ホームへ。このホームは、松本電鉄のほかにも大糸線発着の専用ホームになっています。松本電鉄の7番線は弧線橋を降りてすぐのところにあります。ホームの真ん中に車止めが作ってあり、そこを境にホームの塩尻方が松本電鉄のホーム、反対側が大糸線の��ホームとなっています。ここから発車し、一路、終点の新島々まで行って帰ってきます。この松本電鉄を走っているのは元京王井の頭線3000系を改造した松本電鉄3000系



←新島々


          

デハ3005+デハ3006


車輛は元々の京王井の頭線用3000系を大改造。前面の行き先表示サボを撤去。運転席後部座席を撤去し、そこにワンマン対応の料金箱と運賃表、そして車椅子対応のスペースを作り、塗色も全て白く塗り直し、信州方面のバスなどでお馴染みの「Hiland Expless」の表記を側面に書いたというものです。さらにドアの半自動改造の上、後部ドアの松本以外の駅では全部締め切り扱いということで特殊なドアスイッチが運転席につけられているようでした。前面の表情も「これが元京王井の頭線3000系?」と思ってしまうようなイカツイ顔をしていました。
 車輛の説明はここまでにして、列車は11:25に松本を出発。するといきなりJR東日本松本運転所の脇を大きく右に

「キーキー!」

というレールと車輪の摩擦音を出しながら急カーブを切りながら走っていきます。松本運転所の研修庫の屋根が過ぎると、西松本。ここを出ると、犀川支流の1つの田川を渡り、そして市内を築堤と弧道橋を使って通過。国道19号をオーバークロスすると、渚駅に侵入。そして、ここを出ると松本付近の犀川支流の1つで一番大きな奈良井川を渡り、最初の交換設備の駅、信濃荒井駅に到着。この駅は島式1面2線で、駅舎はかなり古びていて趣のある駅でした。この駅を出ると、松本電鉄上高地線は上高地の雪化粧した雄大な山々を見ながら、松本盆地の田園風景の中を進んでいきます。大庭を出て長野自動車道をくぐり、下新(しもにい)・北新(きたにい)を過ぎると、松本電鉄の運転の拠点である新村駅に到着。ここには松本電鉄の検車区があり、駅自体は島式1面2線ながらも車輛留置線や車輛検査用の検車庫などがあり複雑な構内配線がしてありました。新村検車区には3000系のほか、保線用モーターカーなどが置かれていて、さらについ最近まで走っていた「アオガエル」こと元東急5000系の松本電鉄1000系が保留車として置かれていました。ここを後に列車はだんだんと上高地への勾配を登り始めます。程なく車窓右側に上高地および近年「安房トンネル」の開通によって都心から松本経由での飛騨高山方面への最短ルートとなった国道158号線が横に寄り並走。しばらくは国道の街道筋を対面ホームのみで三溝・森口・下島とすぎていきます。波田(はた)駅を過ぎると、いよいよ勾配がきつくなり出しました。…と同時にとうとう雪がチラチラと降ってき始めてしまいました。最大級勾配20‰をかなり飛ばしながら列車は走り、淵東駅(えんどう)をすぎて11:56、ようやく列車は終点の新島々駅に到着しました。この駅は島式1面2線のホームで、もともとはこの先にも島々駅までの路線がありましたが、昭和59年頃の土砂崩れによって、元々赤字だったところなので路線復旧を断念し、これによって新島々駅が終着駅となったものです。そのため、この駅から先にも廃線後が伸びていました。線路が高い位置に作られているので、もともと本線だったところを渡り、階段でおりて改札口へ。駅舎はこれより先の上高地観光のために路線バスの営業所が目の前にあり、観光のための拠点としてかなり大きな駅でした。駅の外へちょっと出てみると、もう雪がかなり降ってきてしまいました。駅の前は国道158号線で、上高地は閉鎖されているために通る車もまばらでした。
 それはともかく、あまり新島々駅に滞在する時間もないため、到着後、トイレに行ったりして小休止し、おり返し12:03発の列車で再び松本駅へ戻ってきました。松本着12:32。雪は松本に戻る途中でやんでしまい、
再び真っ青な好天になっていました。これより松本を後に、篠ノ井線に乗って長野へ向かいます。その前に腹ごしらえということで、あまり乗り換えまでの時間が長くなかったので、みんなで松本駅の���ぅ曄璽爐留悗修丱好織鵐匹悄K榲�は松本観光で途中で昼食と行きたいところなのですが、ここで寄り道をしてしまうと、上越線の水上行き臨時最終普通列車に乗れないので、駅そばで済ますということにしました。こちら長野県はなんといっても更科そばで有名です。



「信州信濃の新そばよりもあたしゃあなたのそばがいい。」



のドドイツでも有名なくらいです。僕は天玉そば(¥350)を食べました。やはり、腰が良くておいしかったです。僕は松本電鉄の方では荷物も一緒に持って行ったので、荷物を預けてきた方のメンバーはこの間にロッカーへ荷物を取りに行き、列車が入ってきたら早くそばを食べている松本電鉄荷物持ち込み組が長野行き普通列車の座席を確保することに。早々とそばを食べ終わり、4番線に入ってくる甲府発長野行き435Mを待ちうけました。12:48、4番線に長野色JR東日本長野総合車輛所所属115系1000番台(長ナノ)3連、435Mが入線してきました。ここで約30分の長時間停車です。列車入線後、すぐに座席を確保しましたが、甲府発なので、ほとんどの乗客が長野まで行くために4人用のクロスシートに座られてしまっていて、ここは確保できず、仕方なく甲府方最後尾車輛のドア付近のロングシートを押さえるしかありませんでした。しかし、1箇所の4人席を同行の年少メンバーに譲り、「たびてつ」副会長で社会人学生の中村さん他、年配組は他の乗客と4人席に座ってもらいました。とりあえず、座席を確保し、発車までの間に飲み物やお菓子などを買いこんで発車を待ちました。
 そして松本13:11発、長野行き435Mがゆっくりと松本駅4番線を滑り出し、松本を後にしました。篠ノ井線へ入るために大糸線とJR東日本松本運転所の回送おり返し線などの複雑な配線をポイントでゴトゴトと渡り、単線の篠ノ井線へ。篠ノ井線は塩尻〜篠ノ井を走る山岳路線で、松本以北は単線になっています。松本を発車するとスピードを上げて松本市内を大糸線としばらく並走、前日通った大糸線の単独駅で1面2線の北松本駅のホーム横を突っ切ると国道19号線が土手で高く登って大糸線が左へカーブしオーバークロスして大糸線と分岐。大糸線を越えた国道19号線がどんどん下へ下がって平行する奈良井川と同じ高さまで下がり、篠ノ井線はしばらく奈良井川と犀川の作った谷口の川と国道よりもちょっと高いところを走ります。しばらくは快調にスピードを上げていた115系がこの大糸線を国道19号線がオーバークロスしてしばらくしたところで急にスピードダウンし、ゴトゴトとポイントを渡って停車。駅かと思ったけれど、ドア扱いはしません。何かあったのかと少々あわてましたが、実はここは篠ノ井線の平瀬(信)で、単線の篠ノ井線はこのような信号所が3ヶ所あり、このうちの2箇所がスイッチはスイッチバックになっています。「信号所」というのは鉄道施設法では駅の種類の1つで、単線の路線で列車交換のために作られたり、列車閉塞のために特に必要なところなどに作られています。僕が乗った篠ノ井線を見る限りではここの平瀬信号所は駅間が長く、列車交換がなかなか出来ないために列車交換のために設けられているようでした。ここで芽野行きの115系3連1532Mと交換して、すぐに発車し、やっと篠ノ井線の松本からの最初の駅に田沢駅に滑り込みました。そして、発車すると、いよいよ松本盆地を離れて峠の道へと差し掛かっていきます。列車は犀川沿いをさらに進み、篠ノ井線内で松本以北の複線区間の田沢〜明科をかなり飛ばして走りました。山がだんだんとまた迫ってきます。しかし、通勤・通学客があるであろう長野県東筑摩郡明科町の中心の駅でもある篠ノ井線の明科駅でも途中駅の田沢駅でも乗客のほとんどが降りません。これは途中の聖高原駅でもスイッチバックの姨捨駅でもそうでしたが、どうやら、この篠ノ井線は長野からの「北陸(長野)新幹線あさま」に乗る乗客が増えてしまったようで、3両でセミクロスシートはほぼ満席、つり革につかまっているお客さんのほうもかなりいて、ノリホ(乗車率)も約110%を越えるくらいでした。乗客の表情もかなり関東地区で見られるような東京化の現象の人(ブラウンロングヘヤーの若者など)が多く、東京方面へ買い物などに行くらしい女の子達がセミクロスシートの4人席を陣取って、原宿のあたりの女の子がやっているような格好をしてワイワイ騒いでいたので、僕ら鉄道ファン仲間は目をシロクロ!。(x−x;;)「北陸(長野)新幹線あさま」が出来たおかげで、今までは松本からの最短ルートは中央本線・篠ノ井線だったのが、今度は篠ノ井線・北陸(長野)新幹線になったために大幅な東京方面経路変更による地元住民の移動変化があったようで、東京がさらに近くなったことが東京の悪いところをこんなところにも運んできてしまったのかとみんなで思わず

「ア〜ア」(x−x;;)

とため息を漏らしてしまいました。
 さて、明科駅を出発し、列車はいよいよ長いトンネルへと突き進んでいきます。第1〜第3白坂トンネルへと入っていきます。このトンネルはトンネル断面が複線方式で作られているので、トンネル内の蛍光灯の過ぎる明かりがかなりトンネル側面の奥の方に行くのが見られました。トンネルとトンネルの間も谷間になっているので、ちょっと光がさしこんでまたトンネルという状態でした。この篠ノ井線の明科〜西条は弘済出版社発行の「JR全線全駅2001年版」によると昭和63年(1988年)9月に完成した新線区間で、それまであった国道403号線沿いの旧線がこれによって付け替えられました。第3白坂トンネルを抜けてすぐに篠ノ井線が列車をかなり大きく傾かせながら左カーブしていきますが、その左カーブの取り付け部分に、いまだにその旧線跡が線路と架線柱が残ったまま放置されていました。そのすぐ脇を長野自動車道が通っていき、篠ノ井線が幾度となく右左にカーブすると共に篠ノ井線をオーバークロスしていきました。そして篠ノ井線は西条(にしじょう)駅へと入ります。西条駅は駅前にちょっとした雑木林の公園が作られていましたが、やはり長野方面への乗客がほとんどのため、降りる人も数人しかいませんでした。ここを発車し坂北駅を過ぎ、再び長野道をくぐり、麻績(おみ)川を渡ってしばらく行くと、避暑地で有名な聖(ひじり)高原駅。麻績川を挟んで対岸には長野道の聖高原インターチェンジの料金所が見えました。ここで5分くらいの列車交換待ち。ところがやってきたのは、ナント!松本運転所の183系9連。普段はこの松本運転所の183・189系は昼間は「急行アルプス」の回送くらいでしかここを通らないのに何故このような真昼間に通るんだ?と不思議に思いましたが、時刻表で調べてみたらナント!普通列車の1226Mでした。183・189系を使用した普通列車は大糸線の方では知られていますが、篠ノ井線のはあまり知られてなく、思わぬ列車を見てしまいました。
 そして、列車は聖高原を出発。右カーブを切りながら麻績川を渡り、長野道をくぐって、山間の最後の駅、冠着(かむりき)へと入りました。これでようやく松本盆地と善光寺平の盆地の縁にあたる山間を抜けます。その篠ノ井線の最高所地点(サミット)にあたる冠着トンネルを抜けると、眼下に戸倉上山田温泉などのある善光寺平が見えてきました。そして冠着トンネルを抜けてすぐのところにまず最初のスイッチバックである羽根尾(信)を通過。この羽根尾(信)は本線を挟んで待避線がXをかくように配線されていました。【これは姨捨駅の先の桑原(信)も同様の配線でした。】そして、いよいよ列車はJR東日本管内に残るスイッチバック駅の1つである姨捨(おばすて)駅へと入ります。姨捨駅は待避線が2線になっている対向式ホームの駅で、突っ込み線1本が本線にあるダブルクロスオーバーによって分岐されて2線になっています。このホーム側の2本の待避線は長さがだいたい列車10両分くらいの長いホームと同じくらいに設けられていました。僕らの乗った篠ノ井線435Mは駅舎側1番線へ入線するために、まず本線からポイントで分岐し、1番線へ入線。対面の2番線からは雄大な善光寺平の風景がとてもよく見えました。また、この駅では俳句を詠んで2番線にある俳句ポストに投函すると後日にコンクールがあって優秀作品は商品が出るという駅としても知られています。ここで約5分停車。少しばかり撮影し、中村さん他の座っている4人用席の窓を開けてスイッチバックするところをよく見ることとしました。乗っているのは、ちょうど最後尾の3両目で、中村さんは後ろに座っているのは運転手さんかと思っていたようで、僕が「あれは車掌さんですよ。」と説明したらビックリしていました。まず、半自動になっているドアを一旦開けて閉めます。次に先頭車の運転手さんが115系の運転台にある「逆転スイッチ」を後進(バック)に入れてノッチオン!。運転席の窓から顔を出して注意目視しながらソロリソロリと列車はバックしていき、ダブルクロスオーバーを渡って反対側の突っ込み線に入り、停止位置でストップ。そして、今度は「逆転スイッチ」を「前進」に切り替えて汽笛を長く


           

「プゥワ〜〜〜〜ン!」(^O^)/


                         と一斉してからガタガタとポイントを渡って本線に入線していきました。この篠ノ井線のスイッチバックが未だに健在なわけはJR貨物篠ノ井総合鉄道部に所属するEF64 0番台牽引の貨物がここを経由して松本・八王子・名古屋方面へ入っているためで、篠ノ井線は最急勾配が30‰ほどあるために息を付かないと登れないことと、旅客列車退避のためだとか。昔はSLが勢いをつけるために作られたスイッチバックが体験できてとてもよかったです。
 こんなわけで、姨捨のスイッチバックを無事通過し、篠ノ井線は善光寺平の縁を大きく回りながら降りていき、桑ノ原(信)を通過して、稲荷山駅に停車。まもなく篠ノ井線の旅も終わりに近づき、車窓右側に北陸(長野)新幹線の斜張橋の千曲川橋梁が見えてきて徐々に接近し、しなの鉄道とのポイントを渡って列車は篠ノ井駅へと滑り込みました。この篠ノ井駅にはJR貨物篠ノ井総合鉄道部が併設されていて、駅にはたくさんのEF64 0番台が貨物と共に停まっていました。篠ノ井線の旅はこれで終わりなのですが、列車は終点の長野まで行きます。開業から約3年経った北陸(長野)新幹線はこの篠ノ井駅を高架ではなく、地上へ降りて走っています。…とは言っても、もちろんフル規格の新幹線ですから、防音壁などの安全設備がつけられています。篠ノ井を出発すると、列車は信越本線へ入ります。1997年9月30日の旧信越本線、横川〜軽井沢の廃止と翌10月1日の北陸(長野)新幹線開業により、この信越本線は高崎〜横川、篠ノ井〜新潟に分断され、軽井沢〜篠ノ井が第3セクターのしなの鉄道に経営移管するという大変化を遂げました。群馬県桐生市在住の僕も横川〜軽井沢が実在したころは良く碓氷峠に通い、ここを通る列車に乗ったりして撮影し、この碓氷峠を越えて良く軽井沢や小諸・上田・篠ノ井・長野まで列車の撮影などで来たりしていました。碓氷峠廃止後はすっかり疎遠になってしまっていましたが、しばらくぶりに来てみてその変わり様にビックリしてしまいました。まず、篠ノ井駅が橋上駅舎になってしまったことにビックリしました。僕が小さいころ【10歳くらいから】に来ていた篠ノ井駅は橋上駅ではなくてちゃんとしたどっしりとした駅舎が立っていて、駅舎に対してホームがありました。今では、その駅舎のあったところを北陸(長野)新幹線の線路が地上を通り、橋上駅舎がその線路をまたいでいます。その篠ノ井駅を出ると、地上を走っていた北陸(長野)新幹線の線路が高架線へ急上昇して住宅地へと入り、無人対面ホーム駅の新駅、今井駅を過ぎると、昔の合戦場の面影が全くない橋上駅舎・対面ホームの川中島駅へ入ります。そして、ここを出ると、信越本線と北陸(長野)新幹線は犀川の橋梁を渡ります。北陸(長野)新幹線の犀川橋梁は茶色のさび止めを塗っただけの味も素っ気もないコンクリの塊のトラス橋でした。そうして安茂里駅を過ぎて、北陸(長野)新幹線が再び地上へ降りて14:27、定刻に列車は長野駅に到着しました。
 長野駅はホントに久しぶりにやってきましたが、ホントにあまりの明るい近代的な駅舎への変貌ぶりにとにかくビックリしてしまいました。以前は善光寺の門前町ですので、善光寺風の駅舎だったのですが、「北陸(長野)新幹線あさま」の開業により、近代的な橋上駅舎に生まれ変わっていました。「北陸(長野)新幹線あさま」開業前までは全部のホームが貫通になっていましたが、3番線が真ん中に車止めが設けられて篠ノ井方がしなの鉄道・篠ノ井線の長野止まり用、豊野方が飯山線用の専用ホームになっていました。橋上駅舎になったために、全部のホームにエスカレーターが設けられ、バリアフリーが徹底されていていました。ここで約20分あまりの乗り換え待ち時間です。実はここを出発するともう乗りっぱなしでの帰宅となるために、夕飯を食べられないのです!。そのために、あらかじめ駅のキヨスクなどで駅弁などを買いこみました。そして、そそくさと飯山線の3番線ホームへと行き、座席確保をすることとしました。
 さあ、これより今回の「年忘れ!上信越安曇野1泊2日大乗りつぶし撮影行」最後の乗りつぶし路線の飯山線に乗り、終着の越後川口へ行きます。とりあえず、出来るだけ早く駅弁などを買いこみ、3番線の豊野方飯山線専用ホームへ向かいました。かなりこれから乗る人たちが待っていました。こちらは今回7人での乗りつぶし撮影行なので、座席確保のために列車停止位置に立って待っていました。14:40頃、ホームアナウンスで



       

「業務連絡!3番線、139D入線!」


「お待たせいたしました。まもなく3番線に飯山線越後川口行きの列車が入線いたします。黄色い線より下がってお待ちください。」



という放送があり、

「いよいよ入ってくるゾ!」

ということで僕らの乗る列車の乗車口に並び始め、僕の後ろにも長い列が出来始めてしまいました。こうなると、ひどいときには戸狩野沢温泉ぐらいまで立ちんぼになるかもしれないので、なるべく座席確保のために他のメンバーも僕のすぐ後ろに並んで入線を待ちました。とにかく、気を引き締めたとき、列車が入ってきました。飯山線の車輛はJR東日本長野総合車両所(長ナノ)所属のキハ110系200番台です。この車輛はJR東日本の新型ディーゼルカーグループ「キハ110系」の豪雪地用車輛です。このキハ110系200番台はこの飯山線の他、八高線と羽越本線を走っています。
 実は僕は、この飯山線は一度中学3年のときに善光寺への初詣ついでに乗っていて、当時は戸狩野沢温泉まで青地に黄色とオレンジの帯が入った「飯山線色」のキハ58+キハ28、戸狩野沢温泉以北は同じ「飯山線色」の古株、キハ52の単行でした。そのときはかなり雪があり、キハ52が単行でエンジンを全開にしてラッセル車状態になって走っていったことを覚えています。それ以来の長野ですから、実に約7年ぶりになるわけです。7年たってどんなところが変わったのかを楽しみに新しくキハ110系200番台になった飯山線を楽しみにやってきたというわけです。
 ところがです!。やってきたキハ110系200番台139Dはナント




       

キハ110 226(長ナノ)


                                         の単行だったのです!!。このために、長蛇の列が出来ていた僕らも含めた139Dの乗客はドア口へ殺到し、半自動ドアですから赤いLEDの「ドア開閉可能サイン」がついて僕が列の先頭でしたからドアボタンを押してドアをかけた瞬間、

ドドドド〜!!(x−x;;)

っと乗客が座席確保のために車内になだれ込んでしまいました。僕らもすかさず応戦し、なんとか4人席1つと2人席2つを確保することが出来ました。しかし、単行の大変なところで、ほとんどの乗客が立ち席になってしまい、しばらくギュ〜ギュ〜詰めの状態で越後川口へ向けて行かなくてはなりませんでした。(x−x;;)
 そんなこんなで14:54、キハ110 226の139Dは越後川口へ向けて長野を後にしました。しばらくは複線の信越本線をエンジン音も快調に飛ばしていきます。その信越本線のすぐ脇をこれから延伸すると本線になる北陸(長野)新幹線の長野新幹線運転所への回送線が長野駅を出るとすぐに高架に上がり、車窓右側を行きます。そして完全に高架線に上がりきってしばらくすると、こちらの信越本線を回送線がオーバークロスして、車窓左側へ移り、しばらく信越本線と離れます。そこからちょっと行ったところが北長野駅。信越本線の複線もここまで。これより単線になります。それから、ここの先には・東日本長野総合車両所があります。ここの側線に大阪からやってきた583系「寝台急行シュプール妙高・志賀」が休んでいました。アイドリングから「ゴロゴロゴロ〜!」(^−^)という音とともにパワーをあげて北長野を発車すると、長野駅の地下から出てきた長野電鉄本線が地上に顔を出してこちら信越本線を左からオーバークロスして遠ざかっていきます。そこを過ぎると、車窓右に長野総合車両所(長ナノ)が見えてきます。ここは車庫のほか、車輛の全検・交検・台検などの総合的な検査の実施のほか、車輛製造も行っている総合的な車輛所です。車輛留置線には14系座席車改造の「お座敷列車浪漫」や今や「快速信州リレー妙高」用になってしまった189系特急電車などの車輛が置かれていました。そして、長野総合車両所を過ぎると、北陸(長野)新幹線の回送線が斜めに左から右へとオーバークロスして信越本線から分かれていきます。そうすると、車窓右側にりんごの果樹園のリンゴの木が並んできました。北陸(長野)新幹線の回送線は遠くへ離れていき、車窓からは見えるのですが、その果樹園のリンゴ並木の奥のほうへ離れていって回送線の高架線が終わり、そこが長野新幹線運転所になっています。その長野新幹線運転所が遠目に見えるところが信越本線の三才(さんさい)駅。ここは1面1線の駅で、駅からはリンゴ園のリンゴ並木の奥にE2系新幹線電車と研修庫がある長野新幹線運転所が見えます。ここを出ると、信越本線は軽く右カーブを切り、しばらく行くと豊野駅。先ほどからのリンゴ並木は豊野が長野のリンゴの産地ということで、ここのりんごは「豊野りんご」の名前で全国へ発送されています。ここで信越本線とはお別れ。これよりようやく非電化の飯山線です。豊野駅で約1/3の乗客が降りました。発車するとポイントをゴトゴトと転線し、飯山線の線路へと入りました。しばらくは架線のある信越本線と並走し、豊野駅から1kmほどで信越本線が左カーブして分かれていきました。そうすると、すぐに飯山線の最初の駅の信濃浅野駅に到着。この駅は交換設備を撤去した駅で、島式ホームの右側の線路が撤去されたところには花壇が作られていました。この日は雪を期待して行ったのですが、現地はまだ雪が全く降らず、とても良い天気でした。そして、この駅を出発するとしばらくは善光寺平の北部を直線の線路で行きます。そうすると、車窓右側にようやく千曲川が見えてきました。7年前には出来てなかった新しい道路が飯山線をオーバークロスし、だんだんと飯山線が千曲川に近づいていきます。日本で一番長い河川である信濃川・千曲川はこの辺りではまだ中流域で、川原が出来ていました。そして、一番千曲川が近くなったところが立ヶ花駅。がけっぷちにある1面1線の無人駅で、並走する上の道から階段が設けられていました。これより、いよいよ飯山線は千曲川・信濃川に沿って走ります。立ヶ花駅を出ると、一緒に並走する国道117号線が右側の川側からオーバークロスし、千曲川の川の流れとともにその河岸段丘の段丘崖を左右に大きくカーブしながら行きます。しばらくすると、ドーム状の網目の雪覆いが飯山線に作られていて、そこをくぐって走ります。この辺りの冬場は大変な豪雪地帯です。特に、これから通る飯山線の森宮野原駅は日本の鉄道の積雪日本一、7m85Cmのレコード記録を持つ駅で、この記録は未だに破られていません。そんな大豪雪路線をこれより進みます。しばらくいくと、いよいよトンネルが見えてきました。このトンネルの入口には雪崩れよけや雪崩れ覆いが作られていました。それらの小さなトンネルをいくつもくぐり、上今井、替佐、蓮(はちす)と小さな無人駅を次々に過ぎていき、先ほどオーバークロスした国道117号線が再び右の川側にオーバークロスしていきます。そしてしばらく行くと、長野県側の飯山線の最北の都市である飯山駅に到着。ここは飯山線の重要な要衝のため、ホームは1面の島式ホームながら、線路はラッセル車の待避線や保線作業の車輛の留置線、さらに昔のターンテーブルなど、合わせて6本の線路が構内に設けられていました。飯山着15:43。ここで7分の停車です。乗客もここでほとんどが降りてしまいました。また、この飯山駅は面白駅の1つで、ナント!ホームに「七福の鐘」という大きなお寺の鐘と同じ鐘が吊り下げられているんです。僕や鉄道研究会メンバーの1年生の鈴木君などもみんな良い来年と21世紀が来るようにと願って、勢い良く鐘を突かせてもらいました。


           

「ゴ〜〜〜ン!!」(^−^)


                    という良い響きが飯山駅構内と飯山の街中に響き渡りました。ここを過ぎると、飯山でほとんどの乗客が降りてしまったため、単行の139Dの車内はだいぶすいてきました。15:50、飯山駅を出発。しばらくは飯山付近の田園地帯を進みます。時間も夕方にさしかかり、だんだんとうす暗くなってきました。しかし、夕日がだんだんと雲で見えなくなってきてしまいました。そして、北飯山、信濃平を過ぎ、16:01、139Dは戸狩野沢温泉に到着。7年前、僕はここで降りてしばし野沢温泉へ行ったのですが、その当時は雪がバッタバタ降っていて、野沢温泉まで路線バスで行ってみたのですが、猛吹雪にあってしまって名物の「外湯めぐり」はとても出来る状態でなく、バスターミナルの近くの立ち食いそば屋に引きこもって暖を取って早々と戸狩野沢温泉駅に引き返してきてしまったのです。それはともかく7年も経つと何もかも変わってしまうというものなのでしょうか。7年前には趣のあるトタン屋根のあばら家だった戸狩野沢温泉駅が現在は平成5年12月に建て替えられた観光案内所併設の新駅舎になっていました。あまりのモダンなきれいな駅舎になっていたので僕はビックリしてしまいました。ここで4分間の停車で撮影をしましたが、ホームもワンマン対応になっていて、7年前はあった外側線が外されていました。それから、以前はホームの中ほどに駅舎への踏切が設けられていたのですが、新駅舎になってからはホームの越後川口方の端のほうに踏切が着けかえられていました。
 さてさて、16:05、列車はいよいよ飯山線の日本一の大豪雪地帯へと入っていきます。実は今回の乗りつぶし撮影行の飯山線乗りつぶしでは、これより先が7年前の飯山線乗りつぶし撮影行とほぼ同時刻となります。7年前は戸狩野沢温泉駅まで飯山線色キハ58+キハ28の2連で来て、野沢温泉へ行き、これより先はここ始発の飯山線色キハ52の単行に乗り換えて越後川口を目指しました。当時はまさに日本一の大豪雪路線の名の如く、キハ52がまるでラッセル車のようにスノープラウで雪をかきわけ真っ白けっけになりながら猛進していったのを記憶しています。そのときはキハ52でしたから、それを窓を開けて楽しんだものでしたが、今回乗ったキハ110系は全形式番台、窓は一枚ガラスになってしまって開けられなくなってしまったので、それが鉄道趣味的と旅情的にはちょっと残念でした。でも、7年前のキハ52と同じ単行のキハ110 226(長ナノ)でこれより先もまだまだ進みます。この戸狩野沢温泉で残りの大半の乗客が下車してしまい、ここから先は僕ら駿河台大学鉄道研究会「駿大たびてつ研究同好会」メンバー他7人と地元の乗客数名の閑散とした状態で行きます。飯山を出たところ辺りから雲行きが怪しくなっていた空からとうとう今冬の根雪となる雪が戸狩野沢温泉駅から降り出してしまいました。それもますます降り方を増して強くなります。そんなこんなで戸狩野沢温泉を出発。
車窓右手に野沢温泉のスキー場を見ながら、飯山線はこれより山間の千曲川の谷間に入ります。千曲川の流れとともに山の縁をあちこちカーブしながら雪崩覆いや落石覆い、そしてトンネルをいくつもくぐりながら進みます。山がかなり近くに迫り、千曲川も谷間に入って大きな緩やかな流れになってきていました。また、この辺りの千曲川・信濃川は山間の細い地形を利用していくつも電力開発のためにダムが作られていました。日はますます暮れ、いくらか夕日もさしたりはしましたが、雪はますます降ります。飯山線は千曲川と国道117号線よりもかなり高いところを進みます。上桑名川・桑名川・西大滝と過ぎ、7年前にあまりの豪雪で一時ストップした信濃白鳥駅へ到着。今回の乗りつぶし撮影行ではまったく雪がなく、根雪になるであろう戸狩野沢温泉駅から降り続く雪がバタバタと降っていました。信濃白鳥駅は非常に閑散としたあばら家の無人駅で、ここでは地元のおじいさんが1人下車していきました。これより先はキハ110系の本領発揮となる急勾配・急カーブがいくつも続きます。平滝、横倉と過ぎ、トンネルや雪崩覆い・落石覆いを抜け、千曲川のダムの横を過ぎて薄暗くなりかけた頃の16:43、ようやく139Dは飯山線の名所、日本一の大豪雪駅のレコード記録を持つ駅、森宮野原駅に到着。ここで10分の列車交換待ち停車となるために僕らはとりあえずホームへ降りてみました。日本の鉄道の積雪日本一、7m85Cmのレコード記録を示す大きな標柱が構内の駅舎の横に立っていました。森宮野原駅は真ん中に島式ホームがある1面4線の駅で、1・2番線の外側に通過用の外側線が作られていました。そして駅舎が越後川口方ホームの右側に作られ、駅舎とホームとは踏切で結ばれていました。とにかく、せっかく10分も停車するし、日本一の積雪レコード記録を持つ駅ということで僕らメンバーは夢中になって写真を撮りまくりました。そしてあっというまに10分が経過してしまいました。16:53、すっかり日も暮れてだいぶ真っ暗になってしまった森宮野原駅を出発。山間を通る飯山線ですからもう景色は全く見えません。路線の下を通る国道117号線の車のライトと沿線の家々の明かりを見ながら谷間を進みます。長野県から新潟県へと入り千曲川も信濃川へと名を改め、足滝、越後田中と過ぎ、17:06、津南に到着。この駅はマンガ「名物!たびてつ友の会」7巻でも紹介されている温泉保養施設「リバーサイド津南」が併設されている駅で、平成7年3月に建て替えられた駅です。駅舎は2階建てで、1階が駅待合室とレストラン、2階が「リバーサイド津南」になっています。本来ならば、ここも立ち寄ってみたいところなのですが、上越線水上行き最終列車に乗らなくてはならないため、また機会があったらということで1分停車の津南駅は車内から見物するだけにとどめ、先を急ぎました。とにかく、上越線の新潟地区上り水上行き普通列車は夏場ならばもう終わってしまっている時間帯で、普段は越後中里行きがまだ何本もあるのですが、冬場だけ湯沢付近のスキー客をさばくために臨時で越後中里止まりの列車を水上行き最終列車として走らせているというわけなのです。上越新幹線に乗るのならばゆっくり津南駅にも立ち寄れるのですが、なんせ学生の「青春18きっぷ」使用の格安乗りつぶし撮影行ですから、新幹線はきっぷの決まりで乗れないため、なんとかこの上越線の水上行き最終に間に合わないと帰れないし、新幹線の大出費を食らう羽目になってしまうのです。そんなわけで、僕らはただただこの139Dが雪で遅れを出してくれることがないことを願いながら乗っていました。それこそみんな


「頼むから雪で遅れを出してくれるなよ!。」(U−U;;)


と、各自時計を見ながら気をもんでいました。
そんなこんなで、越後鹿渡(えちごしかわたり)、越後田沢、越後水沢、土市(どいち)と過ぎ、真っ暗で分からなかったのですが信濃川を渡って前日に通った十日町に17:31着。ここで3分停車しましたが、十日町駅はホーム上屋の蛍光灯以外は真っ暗で、本来ならば左側にある北越急行ほくほく線の十日町駅も真っ暗でよく見えませんでした。ここまでくれば長野から約3時間ほどの長かった飯山線も終わりに近づき、十日町を発車して北越急行ほくほく線の高架の下をくぐって、魚沼中条、下条、越後岩沢、内ヶ巻と列車は進み、18:00ちょうど、どうにかこうにか139Dは終着の越後川口駅に滑り込みました。この駅は飯山線1線と上越線のホームの間に通過が1本設けられている2面4線の左カーブのところにある駅です。飯山線の列車は時間帯によってはここより上越線を下り、さらに長岡まで延長運転される列車もあります。越後川口駅にはだいぶ雪が積もっていました。ここで新潟の柏崎に実家のある鉄チャン仲間の小林君が実家に帰るということで上越線の下り普通列車で帰っていきました。
 それはさておき、どうにか18:04、僕らは冬季のみの上越線、水上行き最終、新新潟色115系3連1746・8746Mに乗って、終着水上を目指しました。本来ならば、飯山線で食べようかと思っていたのですが、この列車内でみんなで長野駅で買った駅弁を夕飯で食べることとしました。僕が買ったのは「笹ずし」(¥850)。笹に巻かれた鱒ずしなのですが、酢の切れもよくてとてもおいしかったです。上越線はまだ雪も少なかったので、ほとんどのスキー場は休業中でした。小さな駅をいくつも過ぎ、只見線の乗り換え駅の小出、上越新幹線の乗り換え駅の浦佐、北越急行ほくほく線の始発駅の六日町、前日、ここから今回の乗りつぶし撮影行へと出発した越後湯沢と過ぎて岩原スキー場前、越後中里と来て、列車は上越線の上り線のループトンネル、松川トンネルへと入りました。列車は緩やかな右カーブをかきながら進んでいきます。下り線の新松川トンネルはループトンネルではないため、進んでいくと一部区間で上り線と下り線が並走するような形になるのです。そして、真っ暗の中を通過線のある土樽駅へと進み、いよいよ上越国境越えの清水トンネルに突入しました。上越線の上り線は単線時代からある上越線の本線を使っているので、未だにループ線などが残っているので、清水トンネルもレンガ造りのトンネルでした。トンネル内の模倉(信)を通過し、清水トンネル通過に約10分かかりました。新潟県からようやく群馬県へ入り、そして真っ暗の地上駅の土合へ。ここの下り線の駅は新清水トンネル内にあるので、そこまで階段で降りていくため日本一のモグラ駅と言われています。そして再び、ループトンネルの湯桧曽トンネルへと入って、山を下り湯桧曽を通過し、19:41水上に定刻着。そして高崎行きの上越線と両毛線の普通列車で21:21、桐生へ無事に帰ってきました。とても楽しい旅でした。

【おしまい!(^−^)】




年忘れ!大豪雪!「青春18きっぷ」で行く上信越・安曇野1泊2日大乗りつぶし撮影行(1日目)

at 2001 01/04 21:33 編集

2000年12/23(土・祝)、晴れ、絶好の乗りつぶし撮影行日和になりました。今回の乗りつぶし撮影行で行ったのは、僕の鉄道ファン仲間4人と、駿河台大学鉄道研究会「駿大たびてつ研究同好会」のメンバー3人の合計7人。桐生からは僕のほかに、金子君が同行しました。
桐生始発6:23、(424M)115系3連X2の6連で高崎へ。この編成は全てリニューアル115系でした。高崎着7:07。ここから「上越新幹線あさひ303号」で越後湯沢へ。リニューアル200系10連でした。車内で他のメンバーと合流。大清水トンネルを抜けて越後湯沢へ。上越国境を超えてもほとんど雪がなく、ちょっと拍子抜けをしてしまいました。ここから北越急行ほくほく線のHK100系に乗ります。今回乗ったHK100系は歳若番の

HK100−10【六日町車輛検車区】



越後湯沢発8:22(850M)。単行でVVVFインバーターを全回して、六日町まで上越線をノンストップで進み、六日町へ。 ただ困ったことに、このHK100−10にはトイレがなく、六日町で「特急はくたか2号(JR西日本681系ホワイトウイング)」の通過待ちと十日町での対向普通列車の交換待ちの時間を利用して駅のトイレに駆け込まなくてはならなくなってしまいました。それからまた、まつだい駅での「特急はくたか3号(JR西日本681系ホワイトウイング)」との交換待ちで同列車の通過を撮影。さすが高規格路線だけあって、681系が140Km/hくらいで通過していきました。
そんなこんなで、やっと直江津に10:02着�ァD捷渉撤悗篭蕎絮惻砲�完成し、エレベーターが付くなどの近代化がされていました。ここでこの日、渋川まで行く「わくわく団らん(サワ座)」を撮影。 牽引したのはJR西日本敦賀車輛管理センター(敦賀)の
   

原色ローズピンク塗色、EF81 46(敦賀)

直江津着10:14着:16発�◆複坑毅隠汽譟法H�車時、

「ピ〜〜〜!!」(@−@;)(^O^)/

という耳をつんざく甲高い汽笛を鳴らしたので、前面撮影していた僕は大変ビックリしました。
 さて、この直江津駅は2軒のビジネスホテル「ホテルセンチュリーイカヤ」と「ホテルハイマート」による駅弁販売の一騎打ちによって、おいしい駅弁が食べられることで有名な駅でもあります。同行した我が駿河台大学鉄道研究会「駿大たびてつ研究同好会」の副会長、中村さんが買ったホテルセンチュリーイカヤの「兼信公お立ちめし(¥1000)」をみんなで試食。さすがに一騎打ちをやっているだけあって、とってもおいしかったです。

 そんなこんなで、10:48�ぁ�北陸本線546M419系3連に乗り、糸魚川へ。この419系は元々寝台特急電車の581系583系の用途廃止になったものを改造して近郊型電車にしたもの。今回乗った419系は中間車に運転台を取り付けたタイプで、そのカタチがまるで食パンに似ていることから「食パン電車」とも呼ばれているものでした。乗ったクハ419 3(金サワ)は元サハネ582に運転台を取りつけ、さらに近郊型改造で洗面台の撤去、元々あった折戸とデッキを廃止、あらたに車輛2箇所に折戸を設置、3段寝台になる座席を全部固定するなどの改造が施されていました。車内へ入ると、ホントに元々581・583系だけあって、限界いっぱい作ってあるために天井がものすごく高く、元々の下段の寝台になる座席は仕切り部分が太くなっていてかなり離れていました。使おうとすればまだまだ使える中段・上段寝台は全部固定され、中段寝台の場所が出っ張っていました。さらに、上段寝台を載せる網棚はひもでひっくり返らないように固定されていました。とにかく、とても面白い電車でした。
 そんなわけで、これで北陸本線を糸魚川へ行きます。これより、JR東日本からJR西日本の区間に入ります。糸魚川を発車すると、信越本線が左に分かれ、すぐにトンネルに入り、抜けると右手に日本海が見えてきました。この辺りは、北陸本線の複線新線化工事で最終工事区間になったところで、長いトンネルを抜け、海沿いの海岸段丘をトンネルに出たり入ったりしながら通過していきます。途中、昭和44年9月22日の北陸本線複線電化完成によって、頸城トンネルの中に待避線が設けられて駅になっている筒石駅【弘済出版社発行「JR全線全駅2000年度改訂版より参照】を通過。待避線が設けられている分だけトンネルの中の構内が広く、まるで上越線の土合駅の下り線、新清水トンネル内のような感じでした。日本海も晴れていて、とてもきれいに見えました。
 そんなこんなで糸魚川に11:26着。まずは腹ごしらえということで、駅舎を出てすぐ脇にある土産物や市内観光のためのいろいろな展示などがある「翡翠(ひすい)センター」へ。ここの2階に「越後ラーメン」のラーメン屋さんと、地の魚を食べさせてくれる和食料理店があり、うち鉄道ファン仲間2人がラーメン屋へ。残りは和食料理店へ行きました。ここで、僕は地の魚が入っている「刺身定食(¥1600)」を食べました。そして、1階にある土産物店で、翡翠の加工を見たり、いろいろとお土産を購入。僕は糸魚川の冷酒の地酒「雪鶴 本醸造生貯蔵酒(1本¥390)」を2本買いこみました。また、この糸魚川は近くの姫川の上流に翡翠の原石鉱脈があって、それが急流の姫川によって流されてくるために翡翠の産地として有名で、ペンダントなどの宝石として加工されています。この翡翠センターでもいろいろと加工された翡翠がエメラルド色に輝いていましたが、あまりにも高価で(¥10000〜)割れやすいために今回のような列車の旅ではお土産に適さず、学生で手も出ないので見物するだけにとどめました。
   そんなこんなで再び糸魚川駅に戻り、13:52�ぁ△い茲い菎膸綫�に乗り込み、長躯、中央本線(中央東線)[旧線]の辰野を目指します。その前勝戦で、大糸線の非電化区間を行きます。糸魚川にはJR西日本金沢地域鉄道部糸魚川運転センターがあり、雪に備えた同センターのDD15やDD16 300番台、DD14などのラッセル車や大糸線の非電化区間を行く客車列車のためにDE10型ディーゼル機関車などが配置されていました。この日も、「急行シュプール白馬・栂池1・4号」のために、これを牽引するDE10重連がヘッドマークを付けていました。また、「急行シュプール白馬・栂池2・3号」のJR西日本京都総合運転所(京キト)の「 特急はまかぜ」用キハ181系も来ていました。
 それはともかく、今回乗ったのは、ナント!今だに現役で走っているキハ52の単行です。JR西日本金沢地域鉄道部糸魚川運転センター常駐(金ホク)の


キハ52 124(金ホク)

に乗り込みました。車内はワンマン改造がされていましたが、これまたトイレがなく、南小谷まで全員ガマンしなくてなりませんでした。列車は定刻に糸魚川を発車!。エンジンをアイドリングからパワーに上げ、唸りを上げて出発!。いよいよ数年前の集中豪雨によって暴れ川と化した姫川沿いを行きます。糸魚川をでると、すぐに左に曲がり、北陸本線と分離、翡翠によって栄えた糸魚川の街中を進み、セメントのプラントのすぐ横を走り、北陸自動車道を抜けて済みます。頸城大野駅を過ぎるといよいよ、車窓の右側に砂だらけの姫川が見えてきました。ここを過ぎて、大糸線は姫川を何度となく渡り出します。この時点で、大糸線の勾配は25〜30‰(パーミル)ありました。トンネルもだんだんと長くなり、排気が抜けないために、車内までキハ52のエンジンからの排気が入り、臭いことといったらたまりませんでした。途中の小滝駅は、洪水によって、大糸線の線路や鉄橋が全て土砂に流されて持っていかれてしまった一番ひどいところでしたが、トラス橋などが新しく掛けられ、駅もホームが新しく作られ、「急行シュプール白馬・栂池」の交換用に交換設備が長く作られていました。ここをすぎ、何度か姫川を渡り、鎌倉山トンネルを抜けると、お立ち台の第7下姫川橋梁を渡ります。すぐ横には発電所があり、橋が左カーブをしています。これを渡ると平岩駅。もう、この辺りになると、姫川はホントに荒々しい暴れ川の様相を呈し、土砂崩れによってなってしまった国道の廃道の横などや土砂だらけの姫川沿いを進んでいきます。大きな砂防ダムも何ヶ所も見えてきて、ホントに自然の力の強さに恐ろしくなってしまいました。だんだんと、人家も少なくなるので、駅間が長くなり、トンネルも長くなってくるので、JR西日本金沢地域鉄道部糸魚川運転センター常駐(金ホク)所属のキハ52は全車トイレのない車輛ですから、キハ52 124に乗車中の僕も含めたメンバーもみんなガマンをしなければなりませんでした。中土駅はひろい姫川の土砂溜まりの川原にちょっと場所を高くして駅が作られていて、これまた「急行シュプール白馬・栂池」用に長い列車交換設備が作られていました。
 そんなこんなで、やっと南小谷駅に到着。ここより、大糸線は直流電化区間、さらに再びJR東日本エリアに入ります。南小谷駅は2面3線の駅で、14:48、キハ52 124の434Dは�△乏蠅蟾�みました。�,砲録圭氷圓�「特急スーパーあずさ10号」が停まっていて、僕らが着いてすぐに発車していきました。これより、JR東日本の直流ローカル近郊型電車の最新鋭、E127系100番台でナント!松本を抜け、篠ノ井線を塩尻経由で、中央本線(中央東線)[旧線]の辰野へ向かいます。今回乗ったE127系100番台はJR東日本松本運転所(長モト)の


  ←松本
 

クハE126 112+クモハE127 112


2両1ユニットで走っている車輛です。ワンマン装備もつけられています。車内は松本方より右方がセミクロスシート、反対側がロングシートという変則的な座席配置。さらに、クモハE127 112には身障者用のトイレが完備され、その分が車内を運転席側に大きく出っ張り、車輛外側から見てもその部分だけ窓がないという状態になっていました。製造はJR東日本 新津車輛製作所で行われたものです。
 さてさて、乗ったこの車輛の説明はここまでにして、15:03、定刻に1452Mは発車。しばらく、また姫川沿いを行きます。しかし、もう、この南小谷辺りまで来ると、すっかり安曇野の様相を呈し、穏やかな上流の渓谷となっていました。そして、なんどかまた姫川を渡ります。しばらく行くと1面2線の千国駅。ここを過ぎると、次第にしばし山の谷間に狭いところに路線が入り、しばらく行くと栂池高原スキー場への下車駅の白馬大池駅(2面4線)。駅舎は立派なのですが、1面1線のみの簡易駅でした。そして、ここを出ると、いよいよお馴染みの安曇野の風景が広がってきます。雪がほとんどなかったので、これまた少し拍子抜けしてしまった感もありましたが、車窓右側にそびえる白馬岳、乗鞍岳等の安曇野の山々が雪をかぶり口では言い表せないほどの美しい風景を見せてくれました。風が強いせいか山頂の雪が風で吹雪いていましたが、それでも真っ青な空に白い雄大な山々が見えて、僕も含めたメンバーはしばしその景色に見惚れてしまいました。そうして、これまで沿線を共に来た姫川とも第2姫川ダムの脇を第1姫川橋梁で渡って分かれ、だんだんと有名なスキー場の下車駅へと進んでいきます。その前に八方尾根スキー場への下車駅でJR東日本の自社リゾートホテル「フォルクローロ白馬」のある白馬駅(2面3線)、五竜とおみスキー場への下車駅の飯森駅・神城駅(無人駅2面2線)を過ぎると、白馬連峰の影に入り、少し薄暗くなり、高原の盆地になっている安曇野のへりの旧勾配を左カーブしながら登っていきます。そして、姫川の源流を越えて登りきると車窓右手に大きな青木湖が見えてきました。ここは自然にせき止められた湖でかなり広く、これまたきれいな景色で乗客を魅了しました。そうして、大糸線は青木湖の右岸を進み、臨時駅のヤナバスキー場前へ入ります。この駅はホントにヤナバスキー場へ歩いて300mほどの駅で、1面1線の簡単なホームが作られていました。駅からもスキー場のリフトやスキーハウスなどが見えましたが、雪が全くないために休業状態でした。そして簗場を過ぎ、青木湖が後方に過ぎていくと、いくらか勾配を下り始め、今度はまたまた自然に堰き止められた湖の木崎湖が車窓右側へ見えてきました。白樺などの樹木が湖畔を囲むロマンチックな木崎湖の右岸を進み、海ノ口、稲尾と過ぎてくると、列車はいよいよ安曇野の大部分を占める大町市に入り、立山黒部アルペンルートのと大町温泉の下車駅の信濃大町駅へと入ります。これまでは乗客も少なかったのですが、ここよりいよいよ松本市広域圏に入ります。この駅から松本方面へ向かう乗客が大量に乗車してきました。しかし、この信濃大町駅からの松本駅までの道のりには参ってしまいました。…というのは、大糸線という路線は元々、大正時代に完成した私鉄の信濃鉄道【現在のしなの鉄道とは別物。】を当時の「鉄道国有法」により旧国鉄が買収し、さらにこれを糸魚川まで延伸させて出来たという路線。そのため、旧信濃鉄道の路線である大糸線の松本〜信濃大町は単線ながら駅間がとても短くて駅数もここから格段に増えます。レトロムードの漂う島式ホーム・駅舎のある駅が多くて鉄道趣味的には情景がとても良いのですが、この大糸線の駅の1/3が松本〜信濃大町に集中しているため、列車は走ってはすぐ停まり走ってはすぐ停まりを繰り返し、この間の20駅のために松本への道のりがとても遠く感じられました。そんなわけでみんなで、

「松本はまだかぁ〜〜〜!!。」

(U−U;)(x−x;)

とボヤいてしまいました。でも、そこはさすがE127系100番台です。自慢のVVVFインバーターを使って、駅間が短くてもすばらしい加速とすばやいブレーキで確実に各駅へ停車していきました。安曇追分を過ぎ、やっと松本盆地へと入ったころには日も沈んでしまいました。梓川を渡り、篠ノ井線が左側によってきて北松本に停車し、ようやく松本へついたときにはすでに日もとっぷりと暮れてしまい真っ暗になっていました。ここで約10分停車。さすがは長野県第2の都市の松本です。松本城などの観光地があるために大半のお客がここで下車。中央本線(中央西線)からの383系「特急ワイドビューしなの」の姿も見られました。ここより列車は篠ノ井線へ入ります。塩尻までの地元の帰宅客を乗せ出発。「L特急あずさ」用の183・189系、「特急スーパーあずさ」用E351系、波動用新長野色169系などの本拠地の・東日本松本運転所(長モト)を右手に見ながら進んでいきます。ここまで来ると中央本線とのアプローチ区間となるため篠ノ井線は松本〜塩尻は複線電化されています。VVVFインバーターを持つE127系100番台はここからがまた本領発揮で、今度はすばらしい加速とスピードで篠ノ井線を約110km/hで突っ走っていきます。松本を出て5分くらい乗ると松本の貨物物流を掌る松本貨物ターミナルの近くにある南松本駅。たくさんのヤードがありJR貨物篠ノ井総合鉄道部所属のEF64 0番台重連がコンテナを従えて停まっていました。そして広岡を過ぎ、いよいよ中央本線を中央本線(中央東線)・中央本線(中央西線)に二分する塩尻へと入ってきました。ここでJR東日本とJR東海が分岐します。駅構内も� 銑い�岡谷方が左カーブの中央本線(中央東線)方面、�ァ銑┐�右カーブの中央本線(中央西線)方面になっていました。さあ、これより列車は中央本線(中央東線)[旧線]へと入っていきます。列車は中央本線(中央東線)へのホームへ入り左カーブし、車輛留置線や中央本線(中央東線)と中央本線(中央西線)の連絡線のある塩尻大門を右手に見て中央本線(中央東線)の新線「塩嶺コース」の上下線をポイントでガタガタと渡っていきます。そして単線の中央本線(中央東線)[旧線]「辰野周り」へと入っていきます。次第に勾配がキツくなり善知鳥峠を登り出します。新線「塩嶺コース」が左にそれて善知鳥峠をだいぶ登ってくると眼下に塩尻・松本の夜景が入ってきました。とてもきれいでした。そして山に入り、善知鳥トンネルをくぐり、国道158号線と共に善知鳥峠を登りきると小野。山間の駅でここが元々の中央本線(中央東線)の本線だったときの名残を感じさせるようなムードのある駅でした。ここでこの区間だけを走っている元荷物電車のクモユニ143を改造して出来たクモハ123のトップナンバー、クモハ123 1(長モト)とすれ違ってすぐ発車。信濃川島駅を過ぎて列車は大きく左カーブを切ってようやく終着の辰野駅へ17:36�△肪紊�ました。糸魚川から約3時間半かかりました。
 この辰野駅は中央本線(中央東線)[旧線]の拠点駅でもあり、また飯田線の終点でもあります。ここから伊那松島、天竜峡、豊橋方面へ飯田線は進みます。
JR東海との境界駅でもあります。でも、飯田線の列車はここで終点とならず、ほとんどの列車が岡谷・上諏訪まで乗り入れています。ここで約30分の列車待ちとなりました。駅もコンクリ張りの殺風景な、それでいてどこかムードの漂う駅でした。今や本線の中央本線(中央東線)新線「塩嶺コース」とは外れてしまっているためにローカル的な雰囲気になってしまっていますが、今でも1本だけ優等列車で夜行急行の「急行アルプス」がこの辰野駅を回って走っています。
 さあ、これより旅館のある下諏訪へ向けて出発します。辰野発18:20� ■隠横僑毅佑望茲蠅泙靴拭�が、実は、これに使われたのがナント!飯田線用JR東海静岡運転所(静シス)の119系5000番台


←岡谷


クハ118 5008+クモハ119 5008(静シス)


ナント、こんなところでJR東日本管内でいくら直通運転しているとはいえ、飯田線用JR東海静岡運転所(静シス)の119系5000番台2連に乗れるとは思っても見ませんでした。これは元々の119系にインバータークーラーを載せたために車種に5000を追番したものです。車内もブラウンのシートモケットにいまだにJNRの残るの室内温度計と扇風機などがついていました。

 これで終点の岡谷までたった2駅を行きます。辰野駅を出て、すぐに天竜川を渡り、しばらく県道と一緒に北上すると行き違い設備のある無人駅の川岸駅、そしてここを出発し、しばらく行くと、車窓右手より塩嶺トンネルから抜けてきた中央本線(中央東線)新線「塩嶺コース」が中央本線(中央東線)[旧線]を下り線が高架線でオーバークロスし、そして同じ高さのレベルになり岡谷駅の構内に進入。�△肪紊�ました。ホントに短い119系5000番台の旅でした。
  ここからとなりの下諏訪駅へ向かいますが、ナント!ハプニングが起こり、篠ノ井線どどこかで沿線火災のために列車がしばらく遅れるという一報が入り大慌て!。ホテルの送迎をお願いしていたので、ホテルに連絡し遅れることを伝えたりしなくてはなりませんでした。そして本来ならば18:38発のところを約20分遅れで1538M、115系新長野色3連X2の6連が入ってきました。車内は混んでいましたが、1駅だけということでガマンし、19:05にやっと今日の宿泊地の下諏訪駅へと着きました。路線は芽野の先の普門寺(信)から岡谷まで単線になっているために列車も交換待ちでしばらく停車していました。僕らはこの日泊まった諏訪湖プリンスホテル輝山荘の2台の車に分乗し、ホテルへ向かいました。駅を出たすぐのところに踏み切りがあるのですが、ここでまたハプニングが…。ナント!先ほどの遅れで、僕らが乗ってきた先行列車1538Mが遅れているので、下諏訪駅構内に入る前で後続の「特急スーパーあずさ14号(14M)」が本来は下諏訪駅に停まらないのが、構内に入れずに踏み切りの上で立ち往生していました。それで、これがどいてくれるまでの間、しばらく踏み切りが鳴りっぱなして参ってしまいました。こうして、やっと諏訪湖畔の「諏訪湖プリンスホテル輝山荘」に到着。みんなで忘年会も兼ねた宴会をして、旅の疲れを取り、露天風呂などでくつろぎ、諏訪湖に映る夜景を見ながらその日が更けていきました。

【2日目に続く】






ただいま、中央本線(中央東線)[旧線]辰野駅にて!(^−^)

at 2000 12/23 18:19 編集

現在、中央本線(中央東線)[旧線]の辰野駅にいます。これから岡谷へ向かうのですが、現在乗っている岡谷行きがナント!!JR東海の119系5000番代クハ118 5008+クモハ119 5008(静シス)なんです。これが来たときはさすがにビックリしました。それでは、これより岡谷へ抜けて今日の宿泊地の下諏訪へ向かいます。それでは。(^0^)/

2001年3月12日、「特急白鳥」ついに廃止!(;−;)

at 2000 12/20 17:46 編集

今月の15日に僕のうちに届けられた「鉄道ダイヤ情報」1月号によると、ついに40年近く大阪〜青森を昼間走りつづけた現在の日本一のロングラン特急列車「特急白鳥」が40周年を待たずして、ついに「L特急雷鳥」1本「特急北越」2本、「L特急いなほ」1本に分割され、発展解消というカタチで来年の3/13のJRグループ春の一斉ダイヤ改正で3/12をもって廃止されることが発表されました。この列車は長い間、大阪〜青森を約13時間かけて走破するという日本で一番長い距離を走る昼行特急列車として、鉄チャンの間では大変有名な列車で、車輛もJR西日本京都総合運転所(京キト)の485系、それも現役の特急色の編成で運転されていました。車輛もボンネットをしようしていたので、なくなってしまうのが非常に残念でなりません。「特急白鳥」は戦後まもなく、大阪〜上野・青森をキハ82系特急気動車によって運転されてその歴史が始まりました。当時は、上野行きの方は碓氷峠をED42に牽引されて走ったりしました。青森行きはこの頃は約20時間かかって行き来していました。車輛が485系に変わり、受け持ち区所もJR西日本宮原運転所やJR東日本上沼垂運転区のリニューアル485系などで運転されていたこともありましたが、飛行機などに勝つことができず、全線を乗り通す乗客もほんとどいなくて、沿線の「L特急雷鳥」「特急北越」「L特急いなほ」を補完するようなカタチでの運転となっていました。とにかく、一時期は食堂車を含めた堂々たる13連で走っていたこともあったのですが、本当に残念でなりません。僕も出来るだけ「特急白鳥」が通る直江津駅や柏崎駅や長岡駅、新潟駅に村上駅などへ行って最後の勇姿を見てきたいと思っています。僕のページへ来られる鉄チャン・旅行ファンのみなさん、および新着日記を見て来られるみなさん、ぜひ伝統ある「特急白鳥」の最後の勇姿を見に行かれてどうでしょうか。(^−^)

12/23・24(土・祝)(日)「大豪雪!上信越・安曇野1泊2日大乗りつぶし撮影行」 日程公開                    

at 2000 12/15 18:25 編集

来週の12/23・24(土・祝)(日)に行ってくる「大豪雪!上信越・安曇野1泊2日大乗りつぶし撮影行」の日程を公開します。 

(1日目)
  桐生発  6:23��(424M)
        ↓
        ↓
        ↓
        ↓
   高崎着 7:07 
   高崎発 7:38��(303B)
        ↓  上越新幹線
        ↓    あさひ303号
        ↓     新潟行き
        ↓      (自由席)
        ↓
        ↓
越後湯沢着  8:09 
 越後湯沢発  8:22� 複牽械娃諭�
         ↓
         ↓   
         ↓ 北越急行ほくほく線
         ↓  (線内¥950)
         ↓
         ↓   
  直江津着 10:02�ァ                �
(JR東日本)

             
 
            (JR西日本) 
    〃発  10:48� 複毅苅僑諭�
          ↓
          ↓
          ↓
          ↓
          ↓ 
   糸魚川着 11:26 
   (昼食・市場などを観光)
    〃発  13:52
    (434D・大糸線キハ52単行)
          ↓
          ↓
          ↓
  南小谷着  14:48
(JR西日本)

               (JR東日本)
    〃発  15:03(1538M)
          ↓  
   (※大糸線完乗および篠ノ井線経由で 
       中央本線(中央東線)旧線・
             辰野まで直通!)
          ↓
          ↓  
   辰野着  17:36
    〃発  18:20
     (1625M・クモハ123単行)
          ↓
          ↓
          ↓
          ↓    
   岡谷着  18:31 
    〃発  18:38(1542M)
          ↓
          ↓ 
          ↓
          ↓   
  下諏訪着  18:42
                      【下諏訪温泉泊】
     (諏訪湖プリンスホテル輝山荘 
      0266−27−2100)


(2日目)
  下諏訪発 10:26
    (431M・甲府発115系スカ色)
         ↓  
         ↓    
         ↓    
         ↓    
   松本着 10:56
   松本発 11:25
   (松本電鉄完乗!片道¥680)   
         ↓
         ↓
         ↓
  新島々着 11:55
    〃発 12:03      
         ↓ 
         ↓  
         ↓   
         ↓ 
    松本着12:32
     【松本駅で昼食】 
  松本発 13:11
(435M・入線12:48・甲府発)
          ↓
          ↓姨捨のスイッチバック
          ↓    通過!
          ↓
          ↓
          ↓  
   長野着  14:27
  長野発   14:54(139D)
          ↓
          ↓
          ↓
  (日本一の大豪雪路線飯山線全線走破!)
          ↓
          ↓
          ↓          
越後川口着  18:00
〃発   18:04
(1746M・8746M )
          ↓
【冬季のみ新潟地区
上越線水上行き最終・上越国境越え】
          ↓
          ↓ 
  水上着   19:41��
   〃発   19:48��(754M)
          ↓
          ↓
          ↓
          ↓
  新前橋着  20:39�,���
  新前橋発  20:48��(487M) 
          ↓
          ↓
          ↓
          ↓
   桐生着  21:21�◆�
   栃木着  22:05                      
こんな感じで行ってきます。当日は、直江津駅で「わくわく団らん(サワ座)」がやってくるので、撮影します。それでは、頑張って行ってきます。撮影行撮影記をお楽しみに!。





2000年11/19(日)ただいま深夜列車撮影中!!。

at 2000 11/19 03:45 編集

現在、午前3:35。僕は現在、埼玉県上里町の高崎線、新町〜神保原の神流川橋梁にいます。実は、今日は八高線にひさしぶりに「お座敷列車やすらぎ」が入線することになっていて、JR東日本高崎運転所所属のDD51型ディーゼル機関車のプッシュプル運転が見られるということで、その撮影も兼ねて、自宅を深夜の2:00に出発。高崎線の神流川橋梁で「寝台特急北陸」「寝台特急あけぼの」「急行能登」を撮ってから藤岡市にある八高線の神流川橋梁へ向かう予定です。今、自分の車の中にいるのですが、さっきから僕の車の横を頻繁にJR貨物高崎機関区所属のEF65およびEF64 1000牽引の高速コンテナ列車が猛スピードで突っ走っていっています。しばらく、僕はここで列車のバルブ撮影をして八高線へ向かうつもりです。月明かりとオリオン座がとてもきれいです。深夜に起きている方がおられましたら、書きこみとかもお願いします。それでは。がんばりまぁ〜す!!。(^−^)

9/15(金・祝)〜17(日)「ゴーゴー3Dayきっぷ」で行く山形・庄内夜行2泊3日乗りつぶし撮影行旅行記

at 2000 09/20 04:07 編集

9/15〜17まで、僕は鉄チャン仲間および駿河台大学鉄道研究会「駿大たびてつ研究同好会」のメンバー4人で、山形・庄内乗りつぶし撮影行へ行ってきました。
 9/15(金・祝)、僕は早朝4:30起床、5:29発の両毛線始発421M107系100番代4連に乗りこみました。桐生を出るときは一面に朝霧が濃くかかっていて、とても心配になりました。小山着6:20��。

 ここから仙台行き「東北新幹線やまびこ201号」に乗りこみ、福島へ。小山で鉄チャン仲間の1人と合流、「東北新幹線やまびこ201号」の車内で今回の参加者が全員揃いました。この「東北新幹線やまびこ201号は今回は通称「元祖200系」と言っている元々の200系新幹線電車でした。福島着8:10。
福島から8:18発�ケ�羽本線(山形線)431Mに乗り、一路、米沢へ。この奥羽本線(山形線)は新庄までは「山形新幹線つばさ」が走るので、線路が標準軌になっています。そのために列車も標準軌仕様の719系5000番代が使われていました。僕らが乗ったのは、クモハ719 5008+クハ718 8008(仙カタ)。これで、JRで2番目の急勾配の板谷峠を登ります。庭坂を出ると急勾配38‰を突き進みます。途中、赤岩・板谷・峠の3つの駅には山形新幹線開業に伴って廃止されたスイッチバックの後が今でも残っていました。それらの駅は全てもともとスイッチバックのためのポイントの上にあったスノーシェッド(雪囲い)の中に駅がありました。そして、峠駅へやってくると、名物のこの声が聞こえてきました。


「ちから〜  ちから〜 ちからもち〜!」(^−^)



奥羽本線(山形線)・峠駅名物「峠の力餅(1箱20個入り¥1000)の売り子さんの声が聞こえてきました。今でも、列車が着く度に5人くらいの売り子さんが「峠の力餅」の半被を着て売り箱を下げてホームで売っています。この「峠の力餅」を列車が2分間の停車中に乗客がみんなまるで碓氷峠の「峠のかまめし」のほうに我先と買いあさります。僕らももちろん買いました。大福餅になっていて、僕は2箱買ったのですが、賞味期限が翌日までだったので、全部食べるのに苦労しました。(^0^;;)
 そんなこんなで、ようやっと9:05、米沢着。まずは市内観光ということで、タクシーで米沢城跡の上杉神社へ参詣しました。この上杉神社は米沢藩の米沢城跡で、八代藩主の上杉崋山公が


「成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成さぬがものの 成さぬなりけり」


と言って、藩の貧窮を救ったと言われる地で有名です。もちろん、上杉謙信がいた藩が移ってきたところでも有名です。とにかく参詣しましたが、すばらしい神社でした。その近くのお土産屋さんで名物「米沢ラーメン」を食べました。本来は、ちゃんとしたラーメン屋さんで食べたかったのですが、みんな11:00開店のところが多かったので、ここで食べられて良かったです。(^−^)ただ、これを食べたおかげで、米沢の駅弁は満腹で食べられませんでした。グシュン。(;−;)
 そんなこんなで、11:40、米沢を後にして、1431M最新鋭701系5500番代 クモハ701 5508+クハ700 5508(仙カタ)で赤湯へ。ここから山形鉄道フラワー長井線に乗ります。レールバス単行で終点の荒砥まで行き、今泉へ戻り、いよいよ米坂線の完乗をします。臨時列車9146Dで米沢へ戻り、折り返しの1129Dで一路、新潟県の羽越本線・坂町駅へ向かいました。が、この米坂線の列車は懐かしいことに今や現役で走っているものとしては珍しいキハ52で運転されていました。この日の編成はキハ52 125+キハ47 2175(新ニツ)。米沢へ一度戻って、14:56に一路坂町へ向けて発車しましたが、この列車、未だに非冷房で、扇風機をガンガン全回、窓は全開にして走りました。(^0^;;)とにかく、とても暑かったです。最上川を渡り、しばらくは米沢盆地の中を進み、今泉で山形鉄道と合流、白川橋梁を渡って、白川(信)で山形鉄道と分岐、次第に山越をし出します。夕方にさしかかり、いくらか車内も涼しくなりました。列車は荒川沿いの渓谷にそって走ります。そして山形・新潟県境の米坂線・小国(おぐに)駅へさしかかったときにハプニングがありました。
ナント!羽越本線で架線切断事故があり、そのとばっちりを受けて羽越本線と米坂線はダイヤが乱れて大混乱になっているという一報が入ってきたのです。(^−^;;)結局、小国駅で30分の長時間停車になってしまいました。(^0^;;)そして、発車をしたのは良いのですが、これまでゆっくり走っていた列車がキハ52+キハ47でエンジンをフル回転して、すっ飛ばすことすっ飛ばすこと!。(^0^;;)結局、このおかげで、ダイヤを大幅に回復して3分遅れで坂町に到着しました。そして村上行き18:11発115系新潟色4連(3分遅れ)で無事に新潟県村上市の羽越本線・村上駅へ。この日のお宿のある瀬波温泉の「瀬波ビューホテル」へ送迎バスで向かいました。このホテルは日本海の海沿いにあるホテルでいさり火が見えたりしてとても良かったです。露天風呂は無いものの大きな大浴場でとても気持ちが良かったのですが、この瀬波温泉の源泉はかなりの高温なので、水でうすめないと入れないのでちょっと大変でした。そして、その日は早めに就寝しました。
 翌16日はホテルを9:20に出発、
村上発9:51の「L特急いなほ1号」で山形県の羽越本線・余目駅へ向かいました。この「L特急いなほ1号」にはJR東日本上沼垂運転区(新カヌ)の485系上沼垂色6連が使われていました。これの1号車の半室グリーン車の指定席に乗りました。村上を出てすぐに、列車は交直デッドセクション(車上式)に差し掛かりました。これより直通1500Vから交流20000V/50Hzに変換、車内の蛍光灯が全部一瞬消えて、再び交流区間に入って点灯しました。沿線は名所「笹川流れ」を横目に進みます。いろいろな変化に富んだ海岸を進み、あつみ温泉、鶴岡を過ぎ、陸羽西線(奥の細道最上川ライン)の乗り換え駅、余目へ。ここで陸羽西線(奥の細道最上川ライン)の「快速最上川1号」に乗り換え、新庄へ。しかし、この「快速最上川1号は」キハ110 244(仙シウ)の単行で車内は大混雑!。やっと座席を確保しましたが、松尾芭蕉の「五月雨を 集めて早し 最上川」で有名な最上峡は混雑で車輛の後ろの運転席のところからしか眺めることは出来ませんでした。しかし、最上峡の川下りの遊覧船は見ることが出来ました。
そんなこんなで、やっと新庄に11:49着。ここで名物駅弁「山形牛の牛めし(¥1000)」を買いこみ、12:01発701系0番代2連クモハ701 18+クハ700 18(秋アキ)の2441Mで一路、大曲へ。途中、難読駅の「及位(のぞき)」を過ぎ、湯沢・横手、奥州藤原氏の合戦場、「後三年(ごさんねん)」駅を過ぎて、13:48、大曲着。大曲は秋田新幹線開業によって駅舎も建て直し、近代的な駅舎になりました。ここの観光センターでちょっと一休みし、14:33、E3系「秋田新幹線こまち11号」で秋田へ向かいました。秋田15;05着��。
 しかし、またまた困ったことが・・・。実は、秋田地方はこれまた大変な好天残暑で参ったのですが、これから羽後本荘へ向かって、由利高原鉄道を乗りつぶして「寝台特急あけぼの」に乗るのに、東京方面は台風17号が直撃するかも知れないという一報を「秋田新幹線こまち」の中で知り、右往左往!!!。(xx;)秋田駅でいろいろと問い合わせたりしてしまいました。しかし、今のところは遅延、経路変更などの情報は入ってないということで、心配しながらも秋田駅の構内で「特急かもしか」を撮影したり、秋田駅の駅ビル「トピコ」でお土産などを見て、秋田発17:43�ァ■複凖貽�本上沼垂運転区(新カヌ)所属の485系3000番代使用の「L特急いなほ16号」で一路、羽後本荘へ向かいました。トレインマークやサボ(行き先表示幕)がLEDになっているので、動きがあってとても面白くてきれいでした。そして、羽後本荘に19:09着。これより、今回の乗りつぶし撮影行の最後の乗りつぶし路線、由利高原鉄道鳥海山ろく線の乗りつぶしです。YR−1000系、YR−1001「おばこ」に乗りこみました。古めかしい新潟鉄鋼製のレールバスでした。終点の矢島へ着いて、車掌さんが乗りこんできたので、乗りつぶしですぐにおり返すことと遠路、この路線の乗りつぶしをしたくてやってきたとの故と伝えると、

「遠路はるばるよく来てくれました。どうもありがとうございます。」

とお礼を言われてしまい、せっかく来てくれたのだからと言うことで、ご好意で撮影用に列車のヘッドライトをつけてくれました。ホントに由利高原鉄道鳥海山ろく線の職員のみなさん、この場を借りて御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。(^0^)
こうして羽後本荘へ戻ってきて、羽後本荘発21:35、2022レ「寝台特急あけぼの」に乗りこみ、帰路につきました。酒田・鶴岡を過ぎて、日本海側を進みます。夜中なので、漁に出かけた漁船のいさり火がよく見えました。B個室「ソロ」オハネ25 555に乗りました。ソロはけっこう狭かったけれど、一夜の宿はとても乗り心地が良かったです。こうして、遅れも出ず、17日6:58、EF81 135(青)に引かれた「寝台特急あけぼの」は定刻に上野に到着、上野で少し撮影した後に現地解散して、上越新幹線あさひ307号で高崎を経由して帰ってきました。とても楽しい旅でした。今度はどこへ行こうかなぁ〜?。(^0^;;)




8/13(日)「快速ウオーターランドやまなみ」同乗撮影行撮影記

at 2000 08/15 03:17 編集

おとといの8/13、僕はこの日のみの運転である「快速ウオーターランドやまなみ」に乗ってきました。
 早朝4:30起きして行ってきました。まず、出発駅の高崎線・宮原駅へ。・・・と言ってもだいぶ大回りをして行ったんですがね。(^−^;;)乗ったのは団体臨時専用列車の「お座敷列車やまなみ」を使った特別な快速列車「快速ウオーターランドやまなみ」。
この「お座敷列車やまなみ」は去年の10月に出来たばかりの最新型のお座敷電車で、畳敷きの室内にカラオケの設備や運転席のうしろの眺めのよい展望席など、楽しい設備がいっぱいの電車なんです。普段は団体さんしか乗れないんだけれど、水上温泉の「ウォーターランド水上」キャンペーンにあわせて特別に誰でも乗れる快速列車として運転されることになったというわけなんです。それで、この「お座敷列車やまなみ」号に始発の埼玉県の高崎線・宮原駅から乗るために桐生から両毛線で小山へ出て「東北新幹線なすの」に乗って大宮駅へ出てそれで高崎線に乗って1駅戻ってきました。朝に乗った「東北新幹線なすの」が「北陸(長野)新幹線あさま」用のE2’系と「秋田新幹線こまち」用のE3系だったのでちょっとビックリしましたが・・・。(^0^;;)それの「秋田新幹線こまち」の方に乗りました。たった20分くらいだったけれど、とても乗り心地がよかったです。(^−^)
 さてさて、宮原駅はちょっと台風の影響もあって雨が降ってました。それでもさすがにめったに乗れない列車ということでこの列車に乗るために全国各地から鉄道ファンや鉄道の好きなお子さんを連れた親子連れが来ていました。(^−^)なんせ、この日のみの運転だったので、この列車の下り列車と上り列車のきっぷはグリーン車(「お座敷列車やまなみ」は全車グリーン車なんです。)にも関わらず
1ヶ月前の発売日に発売と同時に全部完売してしまったんです。(^0^;;)でも、僕のほうはなんとか座席を押さえて乗ることが出来ました。
 朝の7:25に宮原駅を出発すると、乗ったみんなが運転席の後ろの展望席につめ出して、ビデオを撮ったり写真撮影をしたりしていました。それで乗った人といろいろと情報交換とかもしたりしたけれどね。この日はこの「快速ウオーターランドやまなみ」のほかにも上野〜水上に高崎からSLのD51 498が牽引する
「快速EL&SL奥利根号」も運転されていたので、高崎線・上越線の沿線はこの2つの列車を見たいという鉄道ファンや親子連れですごかったです。沿線の有名な撮影地(「お立ち台」というよ。)にはカメラの三脚がずらりと林のように並んでいました。それで高崎で15分停車のうちに撮影したりして、ちょっと休憩し、再び水上駅へ向けて発車。車内では高崎から乗ってきたJR東日本高崎支社の子会社の
「東日本ジェイアール高崎商事」の社員の方から「快速ウオーターランドやまなみ」乗車御礼でジュースとかの缶でお馴染みの「名水・大清水」ブランドの「大清水・源水」のペットボトルを1本もらいました。
 そうこうしているうちに列車は水上駅に10:00に無事到着。駅の改札口の辺りで、これまた乗車記念でいろいろな「お座敷列車やまなみ」号グッズや水上町の観光のパンフレットなどをもらいました。そして、駅前のそば屋さんでざるそばを食べて後続の「快速EL&SL奥利根号」が水上駅にやってくるのを待ちました。(^−^)列車が到着すると、先頭にいるSLのD51 498がすご〜く汽笛を鳴らしました。そして、水上駅の隣のある水上機関区でSLをターンテーブルで方転してしばらく発車までの機回しまで置いておくんです。それを撮影して、今度は水上駅の高崎寄りの方に移動して、上りの「快速ウオーターランドやまなみ」と「快速EL&SL奥利根号」を
撮影して帰ってきました。「快速EL&SL奥利根号」のD51 498は大迫力の汽笛と水蒸気と煙をまわりに撒き散らしながら高崎へ出発していきました。

・・・というわけで行ってきたんですが、
ホントは暑かったので、水上温泉に入ってこようかとも思ったんだけれど、温泉街はちょっと駅から歩かなくちゃならないのでやめました。
ただ、おみやげ屋さんは見てきたけれどね。
そんなわけで、今回はいろんなイベントやハプニングがたくさんあった同乗撮影行でした。さあ、次はどこに行こうかな?。たぶん、今度は山形・庄内乗りつぶし撮影行になると思います。それまでおたのしみに!。今回はここまでです。(^−^)

7/30常磐線ドライブ撮影行現場より(モバイル通信開始記念)

at 2000 07/30 10:00 編集

このたび、ようやっとモバイル通信機器をそろえました。携帯電話にモバイルコミュニケーションカードをつけてどこからでも通信が可能になりました。・・・ということで、初の撮影行現場実況中継をということで、今、常磐線の内原駅近くの撮影地にいます。ここは常磐線の内原〜赤塚です。すぐ近くに内原駅があり、その近くの弧線橋付近の田んぼで撮影しています。今日は、はじめてですが、常磐線へのドライブ撮影行ということで桐生を早朝の4:30に出発。途中、下館の祭りの「御輿川もみ」のために国道50号線が大渋滞になってしまって、その中に入ってしまって大変な目にあったりしましたが、どうにかやってきました。それで、本来は友部〜内原の上下別線区間でやろうと思っていたのですが、道が狭くて分かりにくく、イカロス出版の「伊東久巳の全国鉄道撮影ガイド」に乗っているお立ち台はとても車では入っていけるところではなく、おまけに畑でUターンをせざるを得なくなり、非常に自己嫌悪になってしまって、この場所は撮影しないことにしました。ここは内原駅からも歩いてかなりありますので、バイカー鉄チャン向きだと思います。周辺に車を止めたりするところもありませんので、僕が見たところではあまりお勧めできません。そんなわけで、別の撮影地を探して今、撮影しています。今日は、水戸駅付近へも行ったりしたいと考えています。《農家のみなさん、大変ご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫び申し上げます。ごめんなさい。(UU;)

5/3(水)、「あすか」上越線入線!(往路)撮影記

at 2000 05/03 19:56 編集

今日、5/3、上越線にナント!JR西日本宮原総合運転所所属のお座敷列車「あすか」が上越線に入線した。上越線内の牽引機はJR東日本長岡運転所のEF64 1051が担当。渋川まで入線し、一旦、新潟県内の上沼垂運転区に引き上げた。明日は再び上越国境を越えて遠路高崎までやってくる。今日は、僕は自分の車で県内の上越線の水上町の大穴付近で列車を撮影した。ちょっと雨が降ったりしたけれど、どうにか撮影した。その後、せっかく水上まで車で来たのだからということで、すぐ近くの日本一のモグラ駅で有名な土合駅へ。ここは上越線が上下別線になっていて、下り線はナント!新清水トンネルの中にあり、地上の上り線のところにある駅舎までは地下ホームからは徒歩15分くらいかかる。それも地下ホームからは地上まで462段の階段があり、さらに駅からの地下下り線ホームへのスロープが湯桧曽川を渡っていて、それを越えるまで合わせて480段の階段がある。行きは楽に降りていけたのだが、帰りはやっぱりキツかった。ものめずらしいので、観光客も見学にやってくる。もちろん、鉄チャンもやってくるが、この駅はJR東日本の高崎支社と新潟支社の境界線にあり、谷川岳の真っ只中にあるため、観光シーズンの登山客が来る以外はめったに乗降客もなく、立派な駅舎が立っているのだが、基本的に無人駅になっている。雪が多く降るので、ちゃんとした建物が作られているが、駅はくもの巣が張っているような状況で、ほとんど閑散としていた。下り線の462段の斜坑は谷川岳の湧水が噴出していた。この斜坑は一直線に下りホームへ到達していた。途中にベンチがいくつか設けられていたが、湧水で濡れていた。新清水トンネル内の下り線ホームは、一部駅の蛍光灯があるのみで、新潟県側は真っ暗だった。
 この土合駅の下り線ホームを見て、やっとのことで地上へ上がり、土合発15:33の上り普通列車を清水トンネルの土合方出口で撮影。そして、谷川岳ロープウェイのところまで行って戻ってきて、近くの「谷川岳ドライブイン」で休憩し、その後は、湯檜曽駅で駅の撮影をした。こちらは下り線が新清水トンネルに入ってすぐのところにホームがある。上り線はこの手前にループ線の第1湯桧曽トンネルがあり、ここを下ってホームへ入る。下り線はトンネルの入口に光がさしこんでいた。やはり新潟側は真っ暗だった。上り線はすぐ山ろくにループ線に入る前の上り線が見えるので、面白かった。ただし、ここも無人駅で、乗客は誰もいなかった。僕は行きかえり共に赤城インターから関越自動車道で水上インターでおりて撮影地へいった。(片道¥950)明日も「あすか」は群馬県内へやってくる。明日も撮影しようかなぁ〜!?。とりあえず、今日はどうにか行ってきた。なお、水上機関区には「SL奥利根号」のD51 498はGW中ということで、特別にヘッドマークが取り付けられていた。今日はこんなところだ。とりあえず、明日は明日で撮影するかは検討したいと思う。

3/18(土)19(日)「青春18きっぷ」で行く仙台・南三陸方面乗りつぶし一人旅撮影行撮影記

at 2000 03/24 03:32 編集

3/18、19日、僕は仙台・南三陸方面の1泊2日の乗りつぶし撮影行をやってきました。
18日は桐生発 5:27� 複苅横隠諭Χ誉源枠�)の107系4連で出発。小山着6:20��。当日は、よく晴れて絶好の乗りつぶし撮影行日和となりました。小山で「東北新幹線やまびこ201号」に乗り換え一路福島へ。この「東北新幹線やまびこ201号」は東北新幹線の「やまびこ」の各駅停車の列車の一番列車です。小山発6:55� 複横娃隠臓法�リニューアル200系K編成10連に乗りました。しかし、18日は3連休の初日ということで、福島・蔵王方面へのスキー客で大混雑!!。とても参ってしまいました。(−0−;;)
福島着8:10のところを10分遅れて8:20に「東北新幹線やまびこ201号」が福島着。福島でまず、福島交通飯坂線の乗りつぶしを決行!。元東急7000系の福島交通7100系クハ7101+デハ7102に乗車。飯坂温泉まで行ってすぐに降り返してきました。福島交通飯坂線ははじめのうちは東北本線と並走し、途中で東北本線をオーバークロスして、進路を北西に向かいます。列車交換設備のある駅はいくつも無いのですが、そうした交換駅では対向列車があると、その度に駅構内に入る前に一旦停車。そして、ゆっくりとホームに入るという方式でした。その度とこの沿線の関係からか、列車がガタガタとすごくゆれて参りました。飯坂温泉駅は頭端式の2面1線のホームで、低いところにホームが作ってありました。 さて、福島駅へ戻り、福島交通飯坂線と同じホームから発車する阿武隈急行に乗り換えていざ宮城県の東北本線・槻木駅へ。この阿武隈急行はもともとは東北本線のバイパスとして建設がされていたものですが、旧国鉄の財政難から丸森までの旧丸森線として一部完成しただけで工事は凍結してしまった「未成線」を第三セクター方式で全線完成させたものです。この日は阿武隈急行8100系AT8108+AM8107の2連に乗りました。福島駅を発車するとすぐに東北本線に合流、しばらくは東北本線を走ります。そして途中の信号所で東北本線と分岐、阿武隈川と平行して走っていきます。その分、トンネルや土手など高規格路線らしい線路を走っていきます。元は複線で作る予定だったところを物足りないのですが、単線で高速で走っていきます。途中には日本で三番目に長い名前の「梁川希望の森公園前」駅などがあります。福島県・宮城県の県境付近は阿武隈川が作った狭い谷の間を阿武隈川に沿っていくつものトンネルで通過していきます。福島から約2時間ほどの11:01、槻木着。ここで11:28(577M)の仙台行き719系4連に乗り換えて一路、仙台へ。仙台着11:53�ぁ�ここから今度は東北本線の旧線である東北本線利府支線へ行くために701系1000番台4連の仙台発 12:20�◆米�線 11:36・1541M)で岩切へ。ここで701系1000番台2連クハ700 1023+クハ701 1023(仙セン)に乗り換え、終着、利府へ。沿線には東北新幹線の仙台総合車輛所がすぐ横にあります。そして、再び仙台へ戻り、今度は仙台市営地下鉄南北線の乗りつぶしをやって、仙台市内の「ホテルセントラル仙台」に一泊、お昼には仙台の名物駅弁「阿武隈川鮭はらこめし」を夕飯には仙台名物の牛タン定食を仙台駅近くの「ばあや」で食べ、仙台の夜は更けました。仙台のホテルでは初めてアダルトビデオなどを見てしまって、興奮して寝られなかったんですけれどね。デヘヘ・・・。(^−^;;)
 翌日は、ホテルを8:10にチェックアウト、仙台発8:51�ァ米�線 8:39・3921D)の「快速南三陸1号」に乗り、一路、気仙沼線の終点、気仙沼駅へ。車輛は仙台方からキハ40 2141+キハ40 549+キハ48 1534(仙ココ)。小牛田までは東北本線をエンジン前回で、これでも普通用国鉄気動車かと思うほどの90Km/hで突っ走り、松島などの景勝地を通過。小牛田で石巻線に入り、前谷地へ。車内は仙台発直行気仙沼行きということもあり、大混雑でなかなか座れませんでした。前谷地から気仙沼線に入り、一部高規格路線を通過、しばらく行くと、車窓の右手に太平洋が見えてきました。いよいよリアス式海岸に入りました。大谷海岸駅などで観光客が下車していきます。僕は終点の気仙沼へ行き、タクシーで「気仙沼シャークミュージアム」で気仙沼の水揚げ高の主要品のサメのことをいろいろと見たりして、南気仙沼駅から再び気仙沼線に乗車、前谷地へ戻って、石巻線前谷地発14:51(1641D)の列車で女川を目指しました。実はこの列車は4連で、途中の石巻で後ろの2両を切り離して行くという列車でした。編成は女川方からキハ28 2306+キハ58 578という急行型キハ58系編成に久しぶりに乗れました。これに後結2連はキハ48 1512+キハ48 502(仙ココ)の編成で石巻へ。ここで結2連のキハ48 1512+キハ48 502(仙ココ)を切り離し、終着、女川へ。万石浦などがとてもきれいでした。そして、石巻へ戻って、仙石線に乗り換え、地下化開業によって延伸した「あおば通」駅まで乗りつぶし、全線完乗して、最終各駅停車の「東北新幹線やまびこ212号」で帰ってきました。とても面白かったけれど、いろいろと大変な旅でした。今度はどこへ行こうかなぁ〜!。

3/8 営団日比谷線脱線衝突事故について見解

at 2000 03/08 14:53 編集

3/8、午前9:01、営団日比谷線、恵比寿〜中目黒で下り営団日比谷線用の03系が中目黒駅構内進入時に、最後尾8号車が脱線、後位4位方に上り東武20050系第4編成5・6両目24552号車・24652号車に接触・大破した。この事故について、鉄チャンの目から見ますと、帝都高速度交通営団の線路は急カーブが非常に多く、現場も恵比寿駅に向かって右急カーブを切りながらゆっくり降りていくところで、おそらく、車輛の傾きも相当なもので、何らかの力が加わったために、03系の8両目が脱線して、内側に入ったところへ東武20050系が入ったと思われます。現在のニュースでは帝都高速度交通営団の方しか報じられていませんが、東武鉄道の方でも情報収集を行っていると思われます。東武20050系は東武鉄道の営団日比谷線用乗り入れ対策車輛で、軽量ステンレス構造で営団日比谷線内の急カーブ・駅間の加速のために、18m級車輛、VVVF駆動、モーター出力150kW、GTOによる8M1C方式を採用しています。また、20050系は1両目と8両目が5扉になっています。一方、営団日比谷線用03系もVVVF装備の18m車輛にしていますが、こちら営団日比谷線の03系のほうが東武20050系よりも軽量になっています。営団日比谷線の事故区間は車輛限界いっぱいなので、原因は、おそらくレールの関係が車輛に及んでいると思われます。とりあえず、利用されるみなさんは、今後の情報に十分気をつけてください。

2000年2/27(日)「寝台特急カシオペア」「寝台特急北斗星」東武日光線撮影行!(惜別!おじいちゃん)

at 2000 03/01 21:50 編集

2/27(日)、僕は「寝台特急カシオペア」「寝台特急北斗星」の撮影のために車で茨城県古河市の東北本線(宇都宮線)の栗橋〜古河へ行ってきました。国道122号と国道354号を通って1時間半で撮影地へ到着。「寝台特急カシオペア」「寝台特急北斗星4号」「新特急おはようとちぎ4号」を撮影しました。そのまま帰るつもりだったのですが、古河の国道354号が大変な渋滞になっていたので、これを抜けるために利根川を渡っていったん埼玉県側に出ました。そして、東武日光線の利根川橋梁の袂へ出たので、スペーシアとかの撮影をやっていました。しかし、やっている最中にとんでもない連絡が入ってしまいました。僕のおじいちゃんが急逝したとの知らせが入ってしまったのです。(;;)
僕のおじいちゃんは生前、写真が大好きで、僕が鉄チャンとして鉄道写真をやりはじめるきっかけを作ってくれた人です。おじいちゃんは、主に風景写真を中心にやっていまして、僕が小さい頃にはよく日光の竜頭の滝や湯滝に行ったりして、そのときに撮影の手伝いとかをやらされました。それがもとで、僕は小さい頃からの鉄道趣味から写真を初めて、現在のような「撮る鉄」になったわけなんです。おじいちゃんは僕の撮ってくる写真をいろいろと定評してくれました。また、小さい頃のJR東日本高崎運転所(当時の国鉄高崎鉄道管理局高崎第二機関区)でのイベントの時には僕と一緒に機関車の撮影をやったりしました。約10年前に目が悪くなって、写真撮影の方は引退しましたが、それでも僕にいろいろと写真の取り方などをよく教えてくれました。僕にとっては自分の鉄道写真の基礎を作ってくれた師匠のような人でもあります。そのおじいちゃんが「もう写真はやらないから鉄道写真の勉強につかいなさい。」と言って譲り受けた「ニコンFE」とニコンレンズは僕にとってはおじいちゃんの残してくれた鉄道写真へのさらなる精進のための道具だと思っています。おじいちゃんの写真への志を孫の僕としても受け継ぎながらおじいちゃんの形見のカメラとレンズは使っていこうと思っています。2000年という区切りの年の突然の急逝となってしまいましたが、享年82歳のおじいちゃんにはおじいちゃんらしい最期だったと思っています。とにかく、僕はおじいちゃんの写真への思いを背負って、さらなる鉄道趣味および鉄道写真撮影に精進していきたいと考えています。おととい、お通夜で、昨日、葬儀と告別式でした。
僕は明日、すぐ近くの両毛線にジョイフルトレインの「リゾートエキスプレスゆう」の撮影をやってくるんだけれど、撮影の時はおじいちゃんの追悼の意味をこめて弔意の紋章をつけて撮影することにしました。ホントにありがとう。おじいちゃん。これからも僕は鉄道趣味を続けていくので、見守っていてください。



1/2(日)謹賀新年!「快速EL&SL奥利根号」年始運転撮影行&同乗記

at 2000 01/06 03:10 編集

1/2、約2年ぶりに我が高崎のJR東日本高崎運転所に所属するD51 498が年始運転を行うことになりました。上野から高崎までは「やすらぎ」用のEF60 19(高所)の牽引でやってきました。高崎でD51に付け替えるのですが、今年のD51にはびっくりしました!。ナント!日章旗にしめ飾りというスペシャル装飾が施されていました。実際に乗ってみましたが、この日のD51は調子があまりにもよすぎて空転はするわ、黒煙をはいてすすはすごく出すわで、大変でした。水上機関区でD51の方転を見学し、発車を撮影して帰ってきました。水上は全く雪がありませんでした。

12/26、年忘れ!豪雪の只見線乗りつぶし撮影行

at 2000 06/19 14:35 編集

12/26(日)、僕は鉄チャン仲間2人を伴った3人で、只見線の乗りつぶし撮影行へ行ってきました。桐生を早朝5:27発の列車に乗るはずが、乗り遅れて5:52の列車に乗り込み、両毛線を小山へ。小山から東北本線(宇都宮線)で岡本駅へ。ここで、「寝台特急カシオペア」や「寝台特急北斗星」などを撮影し、再び東北本線(宇都宮線)の列車、しかも日光線直通の107系0番代2連で黒磯へ。ここで電気方式が直流1500Vから交流20000V/50Hzに変わります。この黒磯駅は日本で唯一の地上切り替え方式の交直デッドセクションなんです。ここで交流電車の701系1500番代2連×3の6連に乗り換えて福島県の郡山へ。ここからは「特急ビバあいづ1号」に乗り、会津若松へ向かいます。郡山で、名物駅弁の「阿武隈川のさけめし」を買い、出発!。しかし、郡山を過ぎるまでは快晴だった天気が会津磐梯山に近づいてくるにつれてだんだんと雲行きがおかしくなり、ついに雪が降ってきてしまいました。磐梯熱海を過ぎるころにはだんだんと積もり始め、中山峠を上りきり、磐梯高原に入ると、一面真っ白の世界になっていました。猪苗代湖も磐梯山もこの雪で全く見えません。ただ、この辺り一面は田園風景なのですが、それが全部一面、大量に積もった雪で覆い被されて一面真っ白の大平原になってしまっているのです。これがまたすごくきれいでした。しかし、まだ驚くのは早い段階でした。この先にも心を奪われるような光景が待っていたのです。
 会津若松に無事に着いたときには雪は少しやみかけてはいましたが、それでも大変な豪雪でした。ここからがいよいよ只見線です。キハ40型ディーゼルカー2連に乗りこみました。七日町を過ぎ、西会津についたところで車掌さんからアナウンスが入りました!。

「お客様には大変ご迷惑をおかけします。先ほど連絡が入りまして、只見線で雪崩が発生した模様で交換列車が遅れています。到着まであと20分ほどかかりそうですので、しばらくお待ちください!。」

一時騒然となりました。(^0^;;)さすが豪雪地帯を行く只見線です。こんな大雪でも停まることを知りません。本来、西会津駅を13:12に発車するところを13:32に発車しました。走り出すと、会津盆地の田園地帯の一面の真っ白の雪の大平原が広がり地平線が出来ているほどでした。ここを過ぎると、いよいよ只見線は山を登り始めます。そうすると、沿線にはどこか人の心の奥底にある懐かしい田舎の風景が目に入ってきました。それに大変降り積もった雪がどっしり降り積もっていました。根岸・新鶴・若宮・会津坂下を過ぎ、塔寺駅に近づいてきたころ、車窓の右側に雄大に水をたたえながら流れる只見川が目に入ってきました。この只見川は阿賀野川の支流で、それほど大きな川ではないのですが、両岸を山に囲まれていますので、川幅も狭くなっています。しかし、その只見川はいくつもダムがあるのですが、これも含めた川の水が、とても濃い群青か紺色をしているんです。それが両岸の山の一面大量に降った雪の真っ白な世界ととてもよいコントラストを作っているのです。それと懐かしい田舎の風景。只見線はこの只見川に沿って走っていき、いくつもの橋を渡ります。その大雪の中を列車は雪を踏みしめ、またスノープラウで雪を跳ね飛ばしながらゆっくりと走っていきます。あまりの大雪で大変にディーゼルエンジンをふかさないと走れないような大豪雪なのですが、その雪がディーゼルカーのエンジン音さえも書き消してしまっているんです。車もあまりの雪で通ることもままなりません。終いには、新潟県境に近づく頃には雪で完全に道路や踏切が埋もれて隠れてしまって、どこが道なのかすらも全く分からず、踏切も役に立たない状況になってしまっていました。とにかく、とっても静かな降りしきる雪の音しかしない、それでいて、川の水の色と一面の白一色の車窓の風景というとても幻想的なすばらしい世界の中を只見線の列車は走っていきました。途中の会津川口駅では列車交換待ちで6分停車。この大雪で雪崩で20分も待たされたのに、ここについたときには、ナント!平常時刻に戻っていました。ここは只見川がすぐ横を流れ、只見川の上田ダムのダム湖がすぐ横にあるんです。その色はまさに、深い紺色をしていました。途中、「福満虚空像尊」というお地蔵様が祭られたお堂の横を只見線は走り、本名の駅を出てすぐ、只見川を渡るのですが、この橋のすぐ目の前は、只見川の本名ダムなんです。本名ダムの目の前を通過し、さらに只見線は雪と川の水の色のすばらしい風景の中を進みます。ダムの横を通り、トンネルを抜け、再び只見川を渡り、雪崩除けなどの鉄道施設の横を通って、只見駅に着きました。ここが只見線沿線で福島県内では最後の一番大きな町です。列車は只見行きとなっていますが、このまま列車番号を変えるだけで直通終着小出まで行きます。ここで20分停車。その間に町へ出て買出しをしました。こんな山の中です。スーパーやコンビニエンスストアなどはありません!。スーパーと書いてあっても、ハッキリ言って普通の商店です。駅前通の商店で、フィルムを買い足したり、簡単な食料やジュースなどを購入し、再び列車の中へ。町は大変な豪雪で、とても歩くにくかったです。只見を離れ、いよいよ福島・新潟の県境、六十里越を目指します。只見川ともいよいよお別れです。只見を離れ、列車は山を登り始めました。只見川最大のダムの田子倉ダムのところにある長大な田子倉トンネルを抜け、スノーシェッドの中の田子倉駅へ入ります。もう、この辺りになると、平行する国道252号線もあまりの雪で通行止め。道も全て雪で覆い尽くされて、どこが道なのか分からない状態。そして、いよいよ只見線最大のトンネル、六十里越トンネルに入りました。抜けるまで約15分ほどかかりました。これで、六十里越を超えて、新潟県へと入りました。トンネルをやっとぬけても、深い雪は続きました。新潟県下最初の駅、大白川駅に着きましたが、あるのは大白川駅のログハウス風の2階建ての駅舎がぽつんとあるだけ。ここで約10分停車しました。ちょっとホームへ降りてみましたが、夕暮れも過ぎて、付近は真っ暗。山間の駅に列車のヘッドライトが光々と光り、それが降りしきる雪を照らし、これまたとてもきれいでした。しかし、あまりにも降りしきる雪がすごくて、列車の撮影をして、そそくさと車内に退参しました。こうして、今度は山を下り、会津若松を出発して約4時間30分後の17:41、ようやく終着の小出駅に到着。ここから上越線の普通列車で上越国境を超えて帰ってきました。とても面白かったです。きれいな幻想的な世界にであえて鉄道の旅、そして鉄道趣味の魅力の原点に会ってきたような思いがしました。みなさんも、ぜひこんな景色に会いに只見線へ行かれてはどうでしょうか!。(^0^)





東京貨物ターミナル見学記

at 1999 12/20 14:48 編集

先週の金曜日、僕は駿河台大学の青木先生に誘われて東京・大井のJR貨物 東京貨物ターミナルへ行ってきました。見学は夜の19:00からなので、夜遅くなることも考慮して高崎まで車で行き、高崎から高崎線の「快速アーバン」を使って上野へ行きました。上野へ着くとちょうど運転日の「寝台特急カシオペア」が13番線に推進で入線してきました。カマ(機関車)はEF81 92(田)でした。特A寝台「カシオペアスイート」はとてもよかったです。特に1号車スロネフE26の車端部の1号室は部屋が広くてよかったです。その後、「寝台特急北斗星1号」が入ってきましたが、こちらのほうはナント!「スーパーエキスプレスレインボー」専用機のEF81 95(田)でした。
 さて、上野から山手線に乗り換え、浜松町へ。浜松町からは東京モノレールに乗り換えてまずは羽田空港へ行って夕食を食べることにしました。この東京モノレールは以前に今の天空橋駅(旧羽田空港駅)までは乗ったことがあるのですが、ここから先はまだなかったので言ってみることにしました。1000系に乗りましたが、ゴムタイヤで走っているために停車などのときにひどく車両が揺れました。羽田空港でウインドウショッピングと夕食を楽しみ、待ち合わせ場所の流通センター駅へ。駿河台大学の青木ゼミのみなさんのほか、東大でやっている各大学の地理好きな人を集めた「旅行地理研究会」のメンバーの人達も来ていました。
 見学に立ち会ってくれたのはJR貨物広報の岩佐さん。まず、駅舎にあたる事務所でいろいろな説明のビデオをみて、その後にいろいろと質疑応答をした後、3台のワゴン車に分乗し、構内見学に行きました。巨大なコンテナがいくつもあり、そのコンテナを満載にしたコンテナ列車がひっきりなしに出入りを繰り返していました。特に「キャッチャークレーン」という吊り下げ式のフォークリフト」が軽々と30m級の大型コンテナを持ち上げたときにはビックリしました。とにかく、とても貴重な体験をして帰ってきました。

第1回時刻表検定試験受験記

at 1999 11/15 16:52 編集

昨日、第1回時刻表検定試験を受験のために東京の中野へ行ってきました。朝、5:52に両毛線・桐生駅を出発、伊勢崎で「ホリデー快速あかぎ鎌倉号」に乗り換えて新宿へ。新宿から都営12号線に乗り換えていきました。試験会場は関東地区の受験者で大変混雑しました。まずは第二種試験から。3級までの試験です。でも、大変苦戦を強いられました。普段見ている鉄道の時刻部門から国内旅客機・海外旅客機の時刻やフェリーの時刻までさまざまなものが出題されました。特に、飛行機部門などは僕ら鉄チャンが普段見ていないようなすごく細かい部分まで出て、僕も目を皿のようにして時刻表と葛藤しました。さらに、第1種試験は料金計算や時刻より列車を特定する問題など、とても難しすぎる問題が多く出ました。第2種は全部マークシートに記入できましたが、第1種は多少、時間切れで無回答が出てしまいました。
帰りにフジテレビの「スーパーニュース」の記者の方にインタビューを受けました。聞けば、「スーパーニュース」で特集をやるそうです。
それよりも試験の結果がどうなるかが楽しみです。